日本郵政から届いた郵便物を見て驚く。それは「本人限定郵便」。なかを見ると何やら難しいことが書いてある。結論から言えば書留郵便物が届いているが、いつ配達すればよいか郵便局に連絡せよ、みたいな内容だ。
これから先も元気なうちは旅を続けたい。そう思っていつも利用する旅行社の旅カードを作ろうと思いつく。以前にも持っていたが、考えた挙句持つのを辞めた経緯がある。それなのにまた申し込む。そのカードがどうも郵便局まで届いているらしい。これまでにもこういう本人限定郵便なるものがあったのだろうか。ともあれ、仰々しい文面に驚いてしまった。
昨日は午後からプールで泳ぐ。この頃はクロールよりも背泳ぎを優先して泳ぐ。どういっても背泳ぎは息継ぎが楽。顔が天井を向いている。しかし、人の泳ぎで顔に水がかかることがある。これだけはクロールが勝る。ともあれ1キロ泳ぐ。あと1回プールで泳ぐと年内の泳ぎおさめとなりそうだ。ともあれ自転車で通える範囲で無料のプール。有難い。
先日読んだ養老孟司の本。その一部を抜粋しよう。『養老孟司の人生論』(養老孟司 PHP研究所、2016年)「世間で生きようが、個人で生きようが、自分の生き方を根本的に肯定できないなら、生きて来た意味はないということです。その点では、私は徹底した楽観主義者です。それでなけりゃ、努力も辛抱もしないし、根性なんていりませんからね」244p
養老ほど「私は徹底した楽観主義者です」とまでは言い切れない。しかし、若い頃よりは「自分の生き方を根本的に肯定」している点ではかなり楽観主義者になっている。今更人生を悲観してもいいことは全くない。それよりも毎日元気で楽しく過ごすに限る。そう思ってこの本をブログにアップ。ともあれ今日も楽しく過ごしましょう!
2017年12月22日金曜日
2016年8月4日木曜日
生きそびれないように!
母が亡くなった年の翌月に東北大震災が起きた。その年は自分のことで精一杯でほかのことは考えられなかった。毎朝起きると気合を入れて9時開館の近くの図書館に駆け込んだ。そこにいれば気が紛れた。それも時の経過とともに変化してゆく。気持ちも落ち着くと体力も出てくる。泳ぎに行こうという気にもなるし、旅行する気も出てくる。そして一番は中断していた習いコトを再開。まずはフルート。徐々にそれも増えてあれこれやりはじめる。
当時、新たにやり始めたのはスペイン語。同じ習うなら大学で…と科目等履修生となる。ところがこれも誰でもが受講可とはならない。面倒な手続きや先生との面談などがある。何とかそれをクリア。
なぜ今日のブログにこんなことを書くのか。昨日、図書館で暇つぶしにいろいろな雑誌を見る。いつもは読まない『サライ』。それにかなり刺激を受ける。それは内山章子(随筆家、大学聴講生88歳)のお話。その中から「今も日本絵画史や地域学を勉強したいと、聴講生として大学に通う。学び続ける88歳。70代をどう過ごすかによって、その後の80代の生き方が決まるという」の箇所に目がいく。御年88歳の人だ。
自分自身、社会人となって再度大学で学びなおしている。その時は「地域文化学」。その後、中国近代史を専攻。内山章子の地域学に似ている。余計、親近感を抱くのかもしれない。だが、この人がやり始めた年齢は自分のそれとはずいぶん上の年齢。今の私でさえも88歳までにはかなりの年数がある。素晴らしい人だ!
それを読んでパソコンと水泳とフルート、そして野球漬けの日々を反省。「勉強」が疎かになっている。再度大学に通うのもいい!?じゃ、何をやる!?
そういえば内山章子は俳画を描いている。これも日本画を習っているのと似ている!?他にも姉である鶴見和子の最期を看ておられる。最期まで母を看たのでこれもこじつけて似ている!?
ともあれ若者と共に学ぶ大学は楽しい。ほんまに88歳に刺激される。まだまだ何でもやれると改めて気合が入る。頑張るぞー!
次に読んだのは『新潮45』。「神は詳細に宿る 養老孟司」の見出し。この人の講演を2度聞いている。興味を持って読む。この中から2か所を抜粋。「生きそびれる」とはどういうこと?
「死を想うなら、生きそびれないようにすべきであろう。現代人のいちばんの危うさは、生きそびれることである。情報とはすなわち過去である」。
「折角生きてるんだから、死ぬことなんか考えて時間をムダにしないほうがいい。…そんな暇があったら、私は虫の標本をつくる。虫を見ていると思う」。
ともあれ、生きそびれないようになんでも生きてるうちはやる!!これに限る。今朝は泳ぎに行こう!今日も元気で!
当時、新たにやり始めたのはスペイン語。同じ習うなら大学で…と科目等履修生となる。ところがこれも誰でもが受講可とはならない。面倒な手続きや先生との面談などがある。何とかそれをクリア。
なぜ今日のブログにこんなことを書くのか。昨日、図書館で暇つぶしにいろいろな雑誌を見る。いつもは読まない『サライ』。それにかなり刺激を受ける。それは内山章子(随筆家、大学聴講生88歳)のお話。その中から「今も日本絵画史や地域学を勉強したいと、聴講生として大学に通う。学び続ける88歳。70代をどう過ごすかによって、その後の80代の生き方が決まるという」の箇所に目がいく。御年88歳の人だ。
自分自身、社会人となって再度大学で学びなおしている。その時は「地域文化学」。その後、中国近代史を専攻。内山章子の地域学に似ている。余計、親近感を抱くのかもしれない。だが、この人がやり始めた年齢は自分のそれとはずいぶん上の年齢。今の私でさえも88歳までにはかなりの年数がある。素晴らしい人だ!
それを読んでパソコンと水泳とフルート、そして野球漬けの日々を反省。「勉強」が疎かになっている。再度大学に通うのもいい!?じゃ、何をやる!?
そういえば内山章子は俳画を描いている。これも日本画を習っているのと似ている!?他にも姉である鶴見和子の最期を看ておられる。最期まで母を看たのでこれもこじつけて似ている!?
ともあれ若者と共に学ぶ大学は楽しい。ほんまに88歳に刺激される。まだまだ何でもやれると改めて気合が入る。頑張るぞー!
次に読んだのは『新潮45』。「神は詳細に宿る 養老孟司」の見出し。この人の講演を2度聞いている。興味を持って読む。この中から2か所を抜粋。「生きそびれる」とはどういうこと?
「死を想うなら、生きそびれないようにすべきであろう。現代人のいちばんの危うさは、生きそびれることである。情報とはすなわち過去である」。
「折角生きてるんだから、死ぬことなんか考えて時間をムダにしないほうがいい。…そんな暇があったら、私は虫の標本をつくる。虫を見ていると思う」。
ともあれ、生きそびれないようになんでも生きてるうちはやる!!これに限る。今朝は泳ぎに行こう!今日も元気で!
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