2026年1月8日木曜日

『城塞(下)』

 昨年末、人生2回目となるおせちをセブンで取り寄せた。1~2人前とのことで3日間かけてクリアした。年末におせちを受け取る際、何か一品材料が届かずじ欠けているという。その代わりとしてレトルト食品2品(1000円分)をくれるともいう。昨日、それを受け取りにセブンに行き、レトルト食品2パックを受け取った。レトルトは5種類あったが何を読み間違えたか骨付きのチキンのカレーを受け取る。

 年を取ってくると魚でも骨なしを選んでいる。それなのによりによって骨付きを選んだとは情けない。ましてやレトルト食品はほぼ買わない。それなのに代替品はレトルトしかなかった。朝からぼやいても仕方がない。気が向いたら食べよう。

 以下は『城塞(下)』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十八年八十一刷)から気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★信長の死後、秀吉の融和政策によって救われた。秀吉は京都の六条の地をあたえ、ここに本山を移らせた。本願寺が秀吉に対して恩に着、「豊臣家の御為になることなら」と、つねにその気分でいたことは、そういういきさつによる。家康は関ケ原の先勝のあと、この大教団の存在をおそれ、別個に本願寺をつくった。ふつう東本願寺といわれる存在がそれであり、このためモトの本願寺は西本願寺と通称された。家康は日本中の末寺に対し、東本願寺に帰属をすすめたため、ちょうど半数弱が、その傘下に入った。このため東本願寺は徳川氏の与党になり、幕末のころでさえ、佐幕であった。逆に幕末、徳川氏をたおす側にかつての豊臣びいきの西本願寺がまわった。(231p)

★奇妙なことだが、塙団右衛門(ばんだんえもん)は、結局敗北する。……敗軍してもなお――というより敗軍したればこそ――後世、日本人たちはこの人物をこよなく愛しつづけてゆくのだが、その理由はかれの人柄が日本人としてその長所と短所を濃厚にもっていた典型的な人物だったからであろう。かれは、詩人であった。日本人に愛されるには、詩人もしくは詩的行動者でなければならない。大坂方の敵である徳川家康の行蔵(こうぞう)にはおよそ詩的なものがなかった。それにひきかえて大坂籠城軍諸将の人生と行動はいかにも詩的であり、団右衛門はそのなかでもきわだっている。(259p)

★私見によれば、司馬氏の小説は必要以上に読者と対話をしたがっているようである。文章の行と行の間の”間”(ま)の良さが読者を引きずり込んでいく。読者はみなかれらなりに”意識の流れ”をつくり上げるらしい。実はそれが楽しいのである。それがブルーカラーから知識層に至るまで広い読者層を獲得している秘密なのではないかと思う。私は読み方が拙いのかもしれないが、『梟の城』などの彼のごく初期の作品はそれほど好きではない。『豊臣家の人々』のころから何かしら私は、司馬氏の作品に目をひらきはじめたようである。(解説 大島正)(578p-579p)

0 件のコメント:

コメントを投稿