★チャンスはやって来たそのときにつかまなくてはいかない、ということ。
[由来] 「ギリシャ詩華集」に収められた、紀元前四~三世紀のギリシャの詩人、ポセイディッポスの詩の一節から。時の神カイロスについて、出会った人がつかまえやすいように髪を顔の前に垂らしてあるが、追いかけてつかむことはできないよう、後頭部には髪がない、と書かれています。カイロスは男性神ですが、のちに、幸運の女神についての話に変化して広まっていきました。
新聞のテレビ番組欄を見ると野球、サーッカー、バスケットボールといずれもプロスポーツの実況が本日一斉にある。プロ野球はカープ、サッカーはサンフレッチェ、バスケは広島ドラゴンフライズとまさにスポーツの春到来!?地元の地上波テレビ6局のうち、NHKを含めて3局がこの3つの試合を本日午後に放送する。
プロ野球は練習試合だが、サッカーとバスケは開幕試合のようだ。スポーツ王国広島は官民挙げてプロスポーツを応援する。それはテレビもラジオも新聞も、と。これからカープの試合が開幕すればその日の試合にこれまた官民挙げて一喜一憂する。この中でプロ野球が一番好きだ。
関西や関東ではプロ野球球団が1つでなく複数ある。地元のNHKはどの球団を応援するのだろうか。広島はその点、NHKであってもカープオンリーとなる。それはサッカーでもバスケでも同じく地元チームびいきであるに違いない。
スポーツ以外にも広島には広島交響楽団というプロの楽団がある。もちろんこれも官民挙げて応援している。昨日、次年度の広響会員手続き更新の振込用紙が届く。コロナ禍で今年度はほとんど演奏会に出かけていない。自分自身も歳を取った。夜の演奏会に行くのはやめようと思い、次年度の更新はしないつもりでいる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
中村真一郎の『冬』(新潮社、1984年)を読んだ。著者の中村は1918年生まれ。ということは自分の両親が中村と同時代を生きたことになる。ハードカバーの単行本は文字が小さく、一段落の文が長い。加賀乙彦の解説のように「息の長い、嫋嫋(じょうじょう)とあとを引く文体……」は悪く言えば長々とした文に思える。今から36年前に購入した本だが、当時は読まずにほったらかしていた意味が今になってわかる。この本は『冬』のタイトル通り、人生の冬に向かう人が書いている。当時はまだ人生の春を過ぎて初夏に差し掛かかり、冬の季節到来とはまだなっていなかった。それもあるのか買っても読まずにいたのだろう。それなのにこの本をなぜ買った!?
36年前の自分は精神面では今の方が若い。若い時にこの本を手にしたように当時は人生の冬の季節だったのかもしれない。改めてこの本を読み終えて自分の若いころを思い出す。
本に登場する人物はいわゆる上流階級の人たち。「四季」のうち『冬』しか読まなくてもこの1冊を読むと「四季」に登場する人物が回想となってあらわれる。また登場人物もどんな人たちなのか、解説ととともに別紙がついているのでわかりやすい。
著者は仏文の専攻だからか、やたらと日本語の文なのにフランス語訳のルビがつく。また、文中にカタカナが頻繁に出てその意味を電子辞書で調べながら読んだ。ほかにも、わからない漢字が頻繁に出て、電子辞書が片時も話せなかった。
「ユマニスム」はヒューマニズムや人文主義で文中は哲学的描写が多い。当時は60歳が高齢者。今は60歳は高齢者に入らないほど36年前と今の年代差を感じる。今や60歳をとっくに超えて70代に突入した。今になってこの本を読んでわかることも多い。
以下は気になる箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★しかしそうした私の傾向はそれはやはり父にとって痼疾ともなっていた女性愛好癖同様にひとつの個性的習癖であり、度を過せば社会から悪徳とも見做されかねないものである。それを積極的な生きるための哲学にまで高めて行き、現実の悲惨と不条理とに対比させて我が心を守る盾ともすることができるようにしてくれたのは、二十歳前後に毎夏私が接した秋野氏の薫陶であることは間違いない。
私はいつか当時の私が氏から学んだものは、「本の読み方」ばかりでなく、実に「生の読み方」そのものであったと回想したものであったが、それこそ秋野氏が自ら示してくれた氏自身の人文主義的態度の見本による感化というもなのであった。
近江教授は迫り来る時代の悪気流に向かって「ユマニスム」を説いていた。そして教授の親友であった秋野氏は自然の姿勢でそれを実践していたのだった。そうして二十歳の私はこの二人によって私の生き抜くための哲学の理論と実践とを学んでいた、ということになる。(143p)
★「いやになるな。おれは昔から友だちというものを大事にしてきたが、その相手がひとりずつ枯れ葉が落ちるように消えて行く。あとには何も残りゃしない。人生なんて、結局、無駄な努力だったんだな。そう覚ったら、おれも早く枯れ落ちたくなってきたよ」と、昨日のS とそっくりな感慨を洩らした。これが無信仰な現代日本の知識人の死を間近にした平均的感想かと、私は思った。(353p)
★そして三十年の昔、私自身は「女ひとりを掴みそこねて」しまった経歴を持つ男なのだ、と思いがけない感慨が胸の奥から突き上げて来た。その挫折がそれ以後の私の人生の道を紆余を極めたものにしたのだった。が、そのために私はもしその道が直線だったら出会うこともなかったろう幾多の認識にも突き当たったのだから、と急いで自分を慰めようとした。しかしそれらの認識のために流した血の量は、と私の中の何かが反問した。が、それをまた押し伏せるように私は、だからこの長い『四季』の物語を書くことができているのではないかと言い返した。曲折に満ちた人生の記録としてまたその苦悩から脱するために魂が出口を求めて徨った幽暗の世界の消息の報告として……。(377p)
1月20日から読み始めた中村真一郎の『冬』をやっと読み終えた。単行本の分厚い本で読みづらさは半端でない。が、1か月余りかけて昨夜、読み終えた。1984年発行なので今から36年前の本だ。その頃は出版社のPR誌を2冊取っていた。新潮社の『波』と岩波の『図書』である。中村真一郎のこの本はおそらく『波』を読んで知ったに違いない。加賀乙彦は『冬』について<老年と雪と氷の世界『冬』>と題して解説している。そういう点ではまさに、今の歳のこの時季に、読むにふさわしい本になったかもしれない。
加賀は次のように書いている。
★文章に力がある。息の長い、嫋嫋(じょうじょう)とあとを引く文体は、対象をやわらかく包み、しかも正鵠(せいこく)を射ている。それは作者の批評眼が物事をたしかに見詰め、それを的確な抽象語で置きかえて論じていくからで、多用された抽象語は、よく未熟な批評家がやるような抽象語の遊び、物事よりとびはなれた抽象語の放恣なひとり歩きに終わっていないからである。とくにこの『冬』のように、生涯の総決算としてそれまで読み溜めた文学作品が曼荼羅をつくっていく作品の場合、作者の批評眼と文章化の才能が生きてくるのだ。
★――『冬』では、一九八〇年代半ばの暮れから正月にかけてが小説の現在であって、この短時間性は小説を濃密にし、ほとんど日常的な時間のなかで回想がおこなわれることを可能にしている。
「回想」と記されているように本の半分くらいは()でくくられた文である。読み始めはなんと()が多い、と思って読んでいたがそれは作者の「回想」と知って意味が分かってきた。
本の気になる箇所は後日に……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
お天気につられて主のいない2階に上がり窓を開ける。しばらく経って掃除機で掃除する。ついでにと気になっていたライティングビューローを開けるとジッパー付きの小さなビニール袋が目に入る。中を見ると写真が数枚入っていた。写真は2002年2月20日付だ。やたらと「2」が並ぶ。
日付を見てふと気づく。それは秋にリストラされた年だ、と。それなのに写真は意外にも楽しそうに写っている。当時、週1度、夜に通っていたアジア塾の後の飲み会での写真だ。その翌年、8年間通ったアジア塾に別れを告げて大学に入りなおした。写真に納まった人は7名。その中にその年、塾のゼミ担当の若い先生もいらっしゃる。
1枚の写真から19年前のことが鮮明によみがえる。8年間、塾に通っていると8人の先生のゼミを受け、ゼミ以外では何十人、何百人もの先生の講演を聞いた(塾は1年の前半が講演会で後半がレポートなどを書くゼミ形式だった)。どのゼミも楽しく、塾が終われば毎回、何人かで飲んだり食べたりした。それも楽しい思い出だが、職場では到底知りえない様々な職種の人たちと知り合うことができた。塾を離れてお花見をしたり旅行をしたりとその時々の塾生や先生を交えて楽しく過ごしたこともある。
2002年は会社をリストラされる憂き目にあい、その瞬間は悔しかった。けれども、あとになればそれはそれでよかった、とどれほど思ったか知れない。今になってもやっぱりあのリストラが今の自分になっている、とつくづく思う。
写真を撮るとき、ほとんど日付を書き込まない。だが、写真に日付が入っていたおかげでいろんなことがよみがえる。これからは写真に日付を入れて写すようにしよう。
さて写真。7名のうち自分を含めて4名でその年、北海道大学に赴任された若い先生を頼って北海道に出かけた。当時は先生ご夫妻は新婚で、きれいな奥さんともども札幌や小樽をレンタカーを借りて観光した。当時の人と連絡があるのはこの先生ご夫妻だけ。
これまで長く生きてきてたくさんの人たちと知りあった。どんな時も全員とはずっと連絡を取り続けられない。が、なぜか、いつもそのうちの1人だけは連絡が続く。北海道へはその年の夏に行った。旅行から帰って間もなく、アジア塾に行く途中の交流プラザで大学募集案内を手にする。試験はその年の11月。それからがさあ大変。その時、北海道の先生にアイデアを請うとすぐに長い返信メールでいろいろと受験について教えてくださった。
1枚の写真を見て若い先生の教えをありがたく思う。当時20代の先生は19年たってもまだ40代と若い。今は大阪の大学の教授になっておられる。今や、3児の父親だ。
ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!
今日は予想最高気温が21度。2月に21度は何か変。今朝の地元紙に石井哲代さんの記事がある。100歳の哲代さんの記事は毎月掲載される。97歳のころの哲代さんをテレビで見た時は五右衛門ぶろを薪で沸かしていた。今朝の記事によると去年まで沸かしていた五右衛門ぶろはデイサービスに通うようになってここで入るそうだ。それにしても100歳で一人暮らしとは見習うことが多い。
「100歳きょうも好日」の2月の見出しの小見出しは「先々の楽しみが張り合い」とある。100歳で先が楽しみでそれが張り合いになっているとは恐れ入る。自分自身を振り返ると今の年齢に対してなるべく先のことは考えないようにしている。これは石井さんとは真逆。先を楽しみにして生きてゆかないと元気で長生きすることはできないのかもしれない。
「今は誰にも気兼ねせんと、自由を謳歌してるんでございます」と哲代さんは話す。これに関しては全く同感。元気であれば一人暮らしはこの点が一番いい。「楽しみをたくさんこしらえて、明日を心待ちにして、哲代さんは自分の人生を生きる」、と記者。
コロナ禍で行動が以前とはだいぶ縮小気味だ。ここは哲代さんを見習って方針を変えた方がよさそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!