2020年4月30日木曜日

♪Legende op.55NO. 5♪


 
 手元にあるフルートの某曲集から練習していない曲を吹いてみる。それはアンデルセン作曲の「Legende op.55NO.  5」。ペッサールの「アンダルース」は今も続けて練習するが、まだ暗譜で吹くまでには至っていない。だが、ICレコーダに録音して聞くと以前よりはましのようだ。

 コロナの影響でオンライン飲み会やオンライン・レッスンなどネット社会と改めて感じる。YOU TUBE先生の動画を見てのフルートの練習もこの時代ならでは、のことかもしれない。練習し始めた「Legende op.55NO.  5」はYOU TUBE先生の動画アップがない。他の人の動画で練習する。この曲は1度も聞いたことがなく、譜面を見るとかなりむつかしそうだ。インターネットが普及していないときはこういった練習も想像さえできなかった。ところが今やネット社会。いろんなモノ・コトをネットに接続すれば理解可能となり、便利になった。気長に練習しよう。

 GWに突入した。お天気は良さそう。ただ、遊びに行かれないのが残念。近場をぶらぶらしよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月29日水曜日

ああ、マスク!

  地元紙に掲載された投稿者の記事を見る。これは桜が咲く護岸に架かる橋だと気づき、自転車に乗って見に行く。橋の名を確認すると記事と同じ名前だった。10歩くらい川へ降りると菜の花らしき黄色の花が咲いている。開花のピークは過ぎていた。携帯で写すがうまくとれない。
緑の橋を探しに行く

 コロナの影響でじっと家にいるようにと言われても無理というもの。近場を探してウロウロチョロチョロと動いている。スーパーへ行くのもいいが、ついつい余計に食材を買ってしまう。先日のニラ2把も餃子を2度ほど作ってその合計110個。だが、1度に食べきれない。昨日は蕗を買った。灰汁が強い蕗を調理する。あとで指先を見ると何をしたかというほど黒ずむ。

  東京に住む姪のメールによるとアベノマスクが届いたようだ。このマスクはガーゼで目が粗く不織布に劣るらしい。姪曰く「他人のために着けてるようなもの」。姪が作った「〇〇〇マスクは不織布を入れるためのポケットを作ったり、ずれないようにワイヤーも入れ、かつ縫い目を見せないよう、考案されたオリジナルよ」だそうだ。さらに「オール手縫いです」という。姪自慢の手作りマスクはパンダ柄で4枚作っていた。マスク作りも大変らしく「ちなみに今は白糸も入手困難です」という。

 先日スーパーで大阪泉州のガーゼタオルが手作りマスク用にと売られていた。その時、買えばよかったのに後日行くと白いのは売れ、チェック柄だけが残っている。この時点で手作りマスクをあきらめた。家に花粉対策として買った以前のマスクがある。使い捨てマスクもこれほどマスク不足だと大事に使わなくてはいけない。ネットを見ると買い手が集中したシャープ製のマスクはウイルス除去率も優れた製品らしい。これを皆に配ってくれればいいのに……。今やマスク、マスクと呼び捨てにできない。マスク様になりそうだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月28日火曜日

再度、餃子に挑戦

 毎日、人のブログやツイッターを見ている。ネットを見ると芸能人などの著名人のブログやツイッターを一部引用して掲載している記事がある。改めて記事にしなくても、と思うがこれもスポーツ新聞や週刊誌に掲載して売れれば由、となるのだろう。以前だったら記者自身が取材するところを人のネタで記事にして掲載している。

 先日初挑戦した餃子作り。再度挑戦する。餃子の皮に入れる具材をさらにみじん切りにして豚のミンチも多くする。出来上がりに片栗粉をまぶす。これも出来上がった餃子が型崩れしないように丁寧にまぶす。前回気になった個所を改めて、再度餃子に挑戦。作り始めは形よく出来上がった餃子をお皿に並べていた。ところが数が多くなるといい加減に並べてしまう。だが、今回の餃子は前回よりも味も形もよくなった。

 YOU TUBE先生はうどんや水餃子も粉を練って、棒で引き延ばして作っている。本格的に餃子をつくろうと思えばそれが本来の作り方かもしれない。だが、そこまではまねができない。一昨日、料理研究家、鈴木登紀子が料理を作っている番組を見た。御年93歳。和食をつくって家で生徒に教える場面だった。卵一つでも殻がついているかもしれない、といってザルで濾す。面倒なことと思わず楽しそうに料理する姿を見ると恐れ入る。何とか手抜きして、と考えるものとでは大違いだ。

 ただ、最近、同じくこの番組で野崎洋光の作る料理を見て「いりこ」を使用するようになった。これまで市販の顎だしや昆布つゆを使っていたがそれをあまり使用しないようにしていりこを使う。いりこを使う、にはいりこを買わないといけない。スーパーに出かけて買おうとするが売り場が分からない。教えてもらっていりこを購入。

 いつものスーパーは九州が本社。最寄り駅に1年前にできた24時間スーパーは福山が本社で瀬戸内海の島で獲れたいりこを売っている。このいりこは元の魚であるカタクチイワシも大きいのか、いりこも大きい。これを購入する。だしを出すのは面倒との思いも野崎氏の番組を見て簡単に思えるようになった。

 何かにハマると長続きするタイプ。今、いりこと餃子にハマっている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月27日月曜日

『空海の風景(下)』

 『空海の風景(下)』(司馬遼太郎 中央公論社、2006年再版)を読んだ。気になる箇所を記そう。王羲之と顔真卿の件がある。顔真卿については知らずにいた。ところが、昨年だったか某会で集ったとき、会場ロビーで顔真卿が話題になる。全く知らない人だったが、居合わせた人からスマホで顔の書を見せてもらい、名前を覚えた。『空海の風景』に顔真卿の名がある。「あの時、話題になった人だ」、と思いながら読んだ。もう忘れらない人になった。

 最後にメモった「私が密教というものの断片を見た最初は、十三詣りのときである。私は嬰児のとき虚弱だったので、身内の誰かが大和の大峰山に願をかけてしまい、十三になったらお礼参りにゆかせる、と約束してしまった。そのため中学一年生の夏休みのとき、兵隊帰りの叔父につれられて吉野の奥の大峰山上に登った」。(372p)と司馬は書いている。

 自分自身も体が弱かったために、小さいころ「願かけ」をした、と親から聞かされて育った。大きくなるにつれて病とは無縁になっているが、そのお礼参りをしたかどうか今となってはわからない。というか、願かけも覚えていない。「苦しいときの神頼み」で親がそうしたのだろう。願かけの話をするときの親はそれはもう不思議な顔をして病が治った、と話してくれた。その場所がお大師さんだったのだろうか、「お大師さんはありがたいんよ」と話していた。お大師さんこそが弘法大師空海だ。幼稚園に入る時点で人より1年遅れだった。そのまま大した病気もせずストレートに学校に進んだ。ただ、小学校に上がる時点で1年遅らす照明書が必要だったらしく、住んでいる町でなく遠くの町の医者に行って照明してもらったと聞いている。

 この話を願真卿を知った某会の人に話すと私を入れて3人が1年遅れの小学校入学だった。戦後すぐの生まれは体が弱かった人が多かったのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下はいつものごとく気になる箇所の抜粋から。

★般若三蔵は自分が訳した経典類を空海の前に運んできて、「これをお前に贈る。帰国するとき持って帰ってくれ」といった。……経典をその訳者そのひとから貰ったというのは、空海の歴史的な幸運といってよく、かれ自身もこの種の運のよさに、おそらく、この時期あたりから、神秘的な思いを持つまでになっていたにちがいない。10p

★空海は、インド・中国をふくめた密教発達史上、きわめて得がたい機会に長安に入り、恵果に会ったということになる。……恵果の空海に対する厚遇は、異常というほかない。12p

★これが六月の灌頂のときであったが、七月の灌頂のときも、空海の花は大日如来の上に落ちた。八月の伝法灌頂では投花の儀式はなかったから、恵果はこの重なる宿縁を奇とし、空海に対し、「遍照金剛」という号をあたえた。遍照金剛とは大日如来の密号で、金剛とはその本体が永遠不壊であることを言い、遍照とは光明があまねく照らすことを指す。18p

★+天台宗を体系ごとぜんぶを仕入れに行った最澄は、沙金もずいぶん多く持たされてゆき、国家としての信物も多く持たされていた。……その点からいえば、留学生の空海は、素手で長安に入ったようなものであった。……空海は、恵果から、一個人としてゆずりうけたのである。……空海は日本国から義務を負わせられず、経費を与えられずして、「密教」を「請益」してしまったのである。……空海は、極端にいえば、私費で、そして自力で、密一条を導入した。25-26p

★青竜寺東塔で葬儀がおこなわれ、翌日、道俗の弟子千余人が恵果の棺に従い、長安の東郊孟村というところに埋葬し、どう時に碑が建てられた。……空海の撰および書である。……特に空海がえらばれたのは、かれの文章と書芸の評判が、いかにやかましいいものであったかが想像できる。41p

★この最澄の孝雄山寺における勅命灌頂が、日本の密教史上、最初の灌頂になった。……天皇は最澄こそ密教の最高者であるという証明書(伝法公験)まで、わざわざ治部省から発行させたのである。72-73p

★いかに精妙にしたとはいえ、その一つ一つが孤立していれば、それらは単なる魔術、呪文、マジナイにすぎず、それが空海の時代の密教用語でいえば雑密というものであった。……最澄の不覚は、雑密をひろってしまったことである。97p

★空海は東大寺のなかに真言院をたて、東大寺の本堂である毘盧遮那仏(大仏)の宝前で、密教の重要経典である理趣経を誦むべく規定し、こんにちにいたるまで東大寺の大仏殿で毎日あげられているお経は理趣経なのである。109-110p

★高雄山寺にいる空海は、この薬子の事件を大きく評価した。大きく評価することで、空海はこの国において密教勢力を飛躍せしめる契機にしようとした。181p

★嵯峨と空海には、すでにこういう文雅の友としての交渉がかさなってしまっている。その上、嵯峨にとっての空海は詩文という軟質なものの存在だけでなく、国家鎮護のためのエネルギーという硬質なものをもつ存在であった。そのことは薬子の乱のあとの大修法の宣言において嵯峨は十分に理解させられた。嵯峨は、そのふたつの面から空海を必要としはじめたのである。204p

★灌頂には、三つの区別がある。結縁灌頂、受明灌頂、そして伝法灌頂である。……最澄があれだけ奔走してようやくおおぜいと一緒に受けたのは、どうやらこの結縁灌頂のようであった。228p

★王義士が空海の時代にとってはるかな過去の人であるのに対し、顔真卿(七〇九―七八五)は空海が入唐する二十年前に生涯を終えたひとである。……願氏は数代にわたって能書家がつづいた家で、真卿にいたり、かれは書の姿態の美しさを追いがちな王羲之流に反撥してあたらしい書風をひらいた。その剛健な書風には北魏の影響がつよいところから、正統の王羲之流をわざわざ南帖流といい、べつに北方人でもない顔真卿の書風を北魏流とよぶほどに、両者は対蹠的である。305-306p

★嵯峨は若いながらもこの時代の貴族文化に圧倒的な影響力をもっていただけに、空海はまず嵯峨の書芸に顔法を混入させようとした――露骨な意識はなかったにせよ――と考えられなくはない。308p

★『寛平御記』によれば、嵯峨は東の三門と西の三門をうけもった。空海は南の三門と応天門をうけもち、橘の逸勢は北の三門をうけもった。この三人がのちに三筆とよばれるなったのは、この諸門の額の揮毫を三人でやったからであろう。315p

★空海の書は霊気を宿すといわれる。……空海の書にもし霊気があるとすれば、それだけは空海の本体なのであろう。319p

★空海は死んだ。しかし死んだのではなく入定したのだという事実もしくは思想が、高野山にはある。この事実は千余年このかた継承されてきて、こんにちもなお高野山の奥の院の廟所の下の石室において定にあることを続け、黙然とすわっていると信ぜられているし、すくなくとも表面立ってこれを否定する空気は、二十世紀になっても、高野山にはない。346p

★仏教によれば人間の肉体は五蘊という元素のあつまりであって、ここで仮に言うならば、薪というも同じである。われわれ人間は、薪として存在している。もえている状態が生命であり、火滅すれば灰にすぎない。空海の生身は、まことに薪尽き火滅した。370p

★私が密教というものの断片を見た最初は、十三詣りのときである。私は嬰児のとき虚弱だtったので、身内の誰かが大和の大峰山に願をかけてしまい、十三になったらお礼参りにゆかせる、と約束してしまった。そのため中学一年生の夏休みのとき、兵隊帰りの叔父につれられて吉野の奥の大峰山上に登った。372p

2020年4月26日日曜日

「終わり良ければ全て良し」

 日本画の先生から来月予定の教室取りやめのメールが入る。利用する区民文化センターから要請があったようだ。それも当然、市内すべての区民文化センターは来月17日まで休館となっている。家に隣接する集会所も利用できない旨、張り紙がある。コロナが出始めたころは他人事に思えた。ところが、広島県も徐々に感染者が増え、コロナの恐ろしさを感じだす。習い事が休みになるのも仕方ない。

 コロナ、コロナと聞かされると気持ちが先にまいりそうだ。そんな時は家を出る、というか体を動かすのが一番いい。運動嫌いだったものがよく言うよ、と笑われそうだ。体を動かす、これが頭を空っぽにする一番の方法。と、泳ぎ始めて実感するようになった。今は泳げないのでその代わりに体を動かす方法は歩くこと。何かをしていれば頭で考えなくなる。コロナのお陰(?)でよく歩くようになった。そのためかよく眠る。もともとよく寝る人間がさらによく眠る。今朝の起床時間の遅いこと。これは自慢にならない。今夜から目覚ましをかけて寝よう。

 最近、テレビを見ているとYOSHIKIが出ている。顔と名前は知っていても音楽など聴いたこともなかった。パッと出てきた人でなく、小さいころから音楽の基礎を学んだ人らしく、聞く人を魅了させる。テレビと言えば昨夜の「激レアさんを連れてきた」の「洞窟おじさん」を見る。以前、NHKドラマで見た「洞窟おじさん」が出演していた。実物を見るのは初めてで2年以上も前の番組らしい。この人にもひきつけられた。「今が一番幸せ!」と洞窟おじさんは話す。

 「終わり良ければ全て良し」とよくいわれる。物事は最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は問題にならないということ、のようだ。洞窟おじさんもこれが当てはまりそうだ。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月25日土曜日

餃子に初挑戦

 30年ぶりに山の峠にある中学校まで歩く。町内地図を見ると学校付近にまで家がある。我が家から歩くこと30分。途中、道に迷ったりする。生まれてこのかたずっと同じ町に住んでいる。通っていた中学校は家のすぐ近くだった。ところが山道を上った先に新たな中学校ができる。往復の歩行時間1時間10分。携帯万歩計は6500歩。中学校の入り口に咲く芝桜。携帯で写したがきれいに撮れていない。ここから市街地を見下ろす。かなり上に学校が建っている。

 中学校まで行けば田んぼや畑が残っている、と思って出かけた。だが、家が建ち、昔の面影はない。中学校までは本来ならば土地拡張事業で山を抜ける大きな道になるはずだった。それも我が家の先まで道ができただけで上の方は途中で未完成のままだ。昔からの家が多く、簡単には道にならないのだろう。

 我が家に戻ると散歩中の夫婦に出会う。町内の西の方から墓地を抜けてこちらの側に降りてきたという。次の町内散歩は町の西方面に行ってみよう。コロナウイルスで自転車に乗る機会が減り、歩くことが多くなった。

 YOU  TUBE先生は若い男性。その人のブログを見るとコロナで演奏機会がなく、これをチャンスにうどんや水餃子に挑戦とある。一昨日、スーパーに行くとニラが2把128円と安い。買ってみたもののさて何をする、と思ってネットで検索。簡単餃子の作り方が動画にある。急遽、餃子に初挑戦。ニラはあっても餃子の皮やミンチ肉がない。市販の餃子の皮30枚購入。だが、中に包む量をいい加減にしたため餃子の皮が足りなくなる。再度スーパーに出かけて餃子の皮3袋とついでにミンチも購入。こうして計60個の餃子をつくる。立ち仕事は苦手。だが、これも運動と思って餃子に挑戦。

 餃子づくりは初めてだった。ラジオをかけてわけもわからぬオペラを聞きながら作る餃子。無我夢中でやっていた。これからは市販の餃子を買わず自分で作ることにしよう。これ、結構気分が落ち着く。夜は自分で作った餃子を食べる。美味だった。残った餃子は冷凍保存。また残った餃子の皮は賞味期限が長いのでもう1把あるニラで後日また餃子をつくろう。

 コロナで運動不足になるどころか意識して歩くようにしている。そんな矢先、6月の広響定演も来年1月に延期のメールが入る。コロナの影響はまだまだ収まりそうにない。外に出歩くだけでなく、家のなかもボチボチ片付けている。食器棚も半分ほど片付けた。徐々に片付けよう。

 ともあれ今日も元気で楽しくs後しましょう!

学校前に咲く芝桜

2020年4月24日金曜日

♪好きにならずにいられない♪

 国が各戸あてに2枚ずつ配布するというマスク。配布された先からすぐに不良品などのクレームが報道される。配られるマスクは日本製と思っていたらどうも中国製のようだ。中国国内で粗悪なマスク製造会社が作ったマスクが何千万枚も回収されている。コロナは中国で発生した。それなのに、政府は中国製品のマスクを配るとは恐ろしい。昨日のネットニュースを見ると中国国内で製造のマスクを日本の航空機に乗客を乗せずマスクだけを乗せて飛行している。これが日本国民に配られるマスクなのだろう。怖いことだ。

 怖いといえばほとんど固定電話にかからない電話に2件も怪しい電話がかかる。ナンバーを見てすぐに着信拒否設定にする。拒否設定も多くなり、以前の番号を削除する始末。着信番号はネットで検索すると怪しいかどうかが分かる。だが、昨日の1件は日本国内からでない海外の国番号から始まる電話のようだ。ネットで検索してもそれだけがわかるだけで詳細は分からない。

 母が生きていた9年前まではここまで変な世の中でなかった!?すべては自分さえよければいいという考えがはびこる世の中になった。ましてや今はコロナでさらに異常事態。誰もが想像だにしなかった世の中になった。 いろんなことに振り回されず我が道をゆく、これしかない。♪好きにならずにいられない♪をアップしたらアップは無理!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!