2022年12月7日水曜日

『街道をゆく』(二十一)「芸備の道」

 この秋、三次市内にある尾関山と鳳源寺の紅葉を見に行こうとした。が、「広島じゃ割」の安い切符に惑わされているうちに、その切符が売り切れてしまった。狭い料簡に囚われ、またケチな根性が災いした結果、三次に行きそびれた。来春の桜の時季には何がなんでもこの2か所へ行こう!

 2か所は『街道をゆく』(二十一)「芸備の道」 (司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九九年第五刷)に記されている。以下はその中から気になる箇所をメモした。司馬遼太郎は登場人物を悪く書かない。が、この中に登場する警官はよほど気になったのだろうか良く書いていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★仏教で業(ごう)というのは、行為としての善悪のもとをなすもので、三業(さんごう)というと、身(み)、口、意(こころ)である。当時の本山の学僧が、「浄土にうまれたいと思えば、三業に祈願と請求をこめて阿弥陀如来に頼まねばならない」といいはじめ、本山がほぼこの学説でかたまった。本来、親鸞の思想には祈願という考えも請求という考えもなく、そういうことをしなくても如来が救ってくださるというのが、他力というものであるという。この学説ははるかに異端の説(異安心 いあんじん)であった。本山の学説を異安心として闘ったのが、この可部の寺に住していた大瀛(だいえい)安芸の学匠たちだった。……ようするに、安芸門徒が勝った。……可部には大瀛の勝円寺がまだあるはずだが、寄ることは割愛して、北をめざした。(29-30p)

★「いやな町ですね」そのあと、路上で遭遇した長谷氏は、私にいった。吉田にあこがれて入ってきたのだが、あの警察署の一郭だけは、どうも気分よく通る気になれない……。私は、少年(年少 としわか)ニシテ高臺(こうだい)ニ上(のぼ)ルハ一(いつ)ノ不幸ナリということばを思いだした。……年少で高い地位につくのは不幸の一つだという意味である。まだ初々しい若者が、警官の制服を着たがために、高臺ではないにせよ権力意識ができ、日本人としてのふつうの礼が取れなくなったということも不幸にちがいない。(それ以上に、日本社会の不幸としては、すべての警官が、戦前に本卦がえりして江戸の同心意識や、太政官の邏卒、または内務省の官憲の意識をすこしずつもちはじめたときにおこりうるのではないかということだが、この長谷氏の被害(むろん被害である)はおそらくごく特殊で極めて偶発的な事件かもしれない。(50-52p)

★福島家の改易とともに、尾関氏も三次を去った。その城はこぼたれたが、城址の山の名を土地のひとびとは尾関山とよんだ。新領主(浅野氏)の世になって、かつての領主の姓を冠して丘の名にするというのは浅野氏の風である寛容さもあったろうが、尾関石見が地下(じげ)の者にきらわれていなかったということにもなるかもしれない。尾関石見については、正則と同郷の尾張の人というだけで、くわしいことはよくわからない。(140-141p)

★三次浅野家五万国の初代が、名君といわれる長治である。長治の次女阿久利が播州赤穂五万国の浅野内匠頭長矩に輿入れをした。そのとき城代家老大石内蔵助良雄が三次までお迎えにきたという伝説が三次にあり、内蔵助がうえたというしだれ桜が、市内鳳源寺にある。(177p)

★傘をさして尾関山のひくい隆起をこえると、黒くぬれたアスファルト道路が走っている。それを突ききって向かいの丘にとりつけば、そこが鳳源寺である。三次侯初代の浅野長治が、寛永十年(一六三三)、臨済宗の禅僧万室を開山として建立した。石段をのぼって旧藩時代の墓所を見たりしてやがて境内に降りてくると、樹齢五百年経たかとおもわれるしだれ桜がある。(180p)

★池には、睡蓮が七、八個の赤い花を浮かせている。……池の中ごろに架けられた橋の上に立ってみると、橋の下に河骨(こうぼね)が葉を沈ませつつ黄色い花をつけていた。……「三次は、どこというところなしに、いい処ですね。こう、この盆地ぜんたいかもしれません」と、橋の上で須田画伯がつぶやいた。(183p)

2022年12月6日火曜日

『街道をゆく』(三十四)「中津・宇佐のみち」

 先日、土佐に出かけた。土佐は高知県で四国には他にも阿波、讃岐、伊予がある。讃岐の香川県と伊予の愛媛県はなじみがあるが土佐、阿波は遠い気がしていた。ところが土佐に出かけてみると思ったよりも遠くなく、もう一度行きたくなるほどいいところだ。阿波の名所旧跡は今一歩わかっていないが、出かければきっといいところに違いない。『街道をゆく』に阿波が取り上げられているかどうかを調べると「阿波紀行」があった。今は「近江散歩」と「奈良散歩」を読んでいるのでこれを読み終えたならば「阿波紀行」を読もう。

 遊んでばかりいたらすっかり本を読む速度が衰えている。再度気合を入れなおして本を読もう。以下は『街道をゆく』(三十四)「中津・宇佐のみち」 (司馬遼太郎 文藝春秋、一九九七年第三刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★目の前に、睡蓮の葉のむれの面がひろがっている。この堤に立てば、容易に古代のなかに入ることができる。睡蓮などと漢名でいったり、印象派のクロード・モネの水面にきらめくこの水草をおもうより、和名のヒツジグサこそふさわしいかもしれない。この花は夜、ねむるように閉じ、未の刻(午後二時)にひらく(ただし実際には午前中にもひらくらしい)。蓮の群落もある。また蓴菜(じゅんさい)の大群落もみられる。……この水草もスイレン科らしい。他に、夏になるとあざやかな黄の花を咲かせる香骨の群落があり、これもスイレン科だそうだから、この池(注・みすみ池)は、睡蓮がいとこ・はとこを従えて大いににぎわっているようである。(216-217p)

★春宮社(とうぐうしゃ)という摂社のそばから林のなかに入った。林のなかは、印象派絵画の世界だった。あの頃の画家たちは、光を印象づけるために影を淡く紫でえがいたのだが、この細長い林のなかは、それを証明するように落葉の一枚ずつが無数の紫の影をつくっていて、上から木漏れ日のなかで輝いたり、ゆらめいたりしている。……頂上は、朱と黄であふれていた。屋根は黒っぽい茶の檜皮でふかれている。建物のほうは朱塗で、黄金の金具が打たれ、樋までが、黄金であることに驚かされる。「宇佐の黄金樋(きんとい)」というのは、神社建築のなかでも、聞こえたものであるらしい。(253p)

★本宮を辞し、こんどは若宮坂の石段をくだることにした。坂は、イチイガシやクスの原生林のなかにあって、じつに気分がいい。林の標柱をみると、この神宮ではこの森のことを、「社叢(しゃそう)」とよび、国指定の天然記念物の標柱をたてている。……宇佐神宮の最大の年中行事は「放生会(ほうじょうえ)」である。仏教的な名がついている。捉えた生きものを放してやる行事である。(58p) 

2022年12月5日月曜日

マウスポインタ―

  2000年にはじめて買ったパソコンはデスク型。デスクと言っても当時、テレビのパソコン教室で使われていたもので簡単に持ち運びができた。それ以降、2台目、3台目、4台目とノート型をメーカー直で購入する。メーカーから段ボールで送られてきたパソコンをトリセツを見ながら設定。そこまではいいのだが、昨夜、夕飯後ふと頭を過るものがある。パソコンのマウスポインターである。

 視力がよくないのでマウスのポイントがどこにあるのかわらなくなる時がある。その時はマウスの電源をOFFにしてONに切り替える。するとポインターが出てくる。パソコンを買って以降22年、(ポイントがもう少し大きければ)とも思わず使っていた。というか大きくできると知らずにパソコン操作をしていた。ところがふと頭を過るモノがある。それは(マウスポインターはもしかして大きくなるのでは?)。そう思うとすぐにGOOGLE 先先生に問いかけた。その詳細はすぐにわかった。(パソコンのスタートをクリックして……)で始まる操作である。その通りにするとマウスのポインタ―が思う大きさで表示できた。

 何でもわからないことはGOOGLE 先生に聞けばすぐに教えてくれる。ありがたい世の中である。それにしても(困っていたのだからもっと早くそのことに気づけばよかった)、と思うが今さらそう思っても仕方ない。今、わかっただけでもよかった、と思う方が賢い。ポインターはポイントの色も変えられる。が、色を変えなくてもポイントが少し大きくなるだけで十分だ。初めてのパソコンから22年も経過してやっとポインターが楽に使えるようになった。本当に良かった!

 なお、使用するマウスはブルートウース規格。ブルートウースは今のパソコンで初めて使う。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年12月4日日曜日

一人焼き肉!?

 2週間ぶりに日本画教室に出かける。日本画教室は月に3回ある。土曜日が月の4週目や5週目にあたるとそれらの週の教室は休みになる。休みになる週を見計らって旅行する人もいる。教室の人は北陸へ行ったそうだ。(北陸)、と聞いて能登半島辺りは若い頃に出かけたが金沢辺りに出かけていないと思った。石川県には友だちもいるのでいつか行こうと思いながら行かずにいる。教室の人の金沢の話を聞いて行きたい気持ちが募りだす。が、これから寒くなるのでどこへ出かけるにも暖かくなるまで待つしかない。

 それにしても松山の坂の上の雲ミュージアム、国東半島、そして金沢と徐々に行きたい場所が増えてくる。行きたいところを先延ばしにしてはいけないが出かけるには季節も関係がある。海外が無理ならば国内へ、それも一人旅へと気持ちを切り替えたことはよかった。もしも海外に行くことばかりを考えていたならばコロナで行かれない気持ちをぼやいていたかもしれない。それでなくても歳ばかり取っていく。海外から国内にシフトしたのは正解だった。

 日本画を習い始めたころ教室で(旅行はほとんど一人で参加する)と話した。その時、(一人で参加して何が楽しい?)みたいなことを言われて顰蹙を買った。ところがそれも時代の変化なのか(一人で行った)と話しても誰からも非難されなくなり、むしろ行けるときに行かないと行かれなくなる、みたいなことを言われだす。昨日の教室で若い人は(焼き肉を一人で食べに行く)と話す。これを聴いて(焼き肉屋に一人で?)と言ってしまった。この言い方はよくなかった。というか若い人の行動にかなり刺激を受けている。

 旅行を一人でするよりも焼き肉屋へ一人で入るほうが自分にとってはかなりの勇気がいる。何でもやりたいと思うことをやらないとあとで後悔が残る。そう思うと若い人の言葉に謙虚に耳を傾けて大いに刺激を受ける、いいことかもしれない。

 描いていたカタバミを描き終えた。次はサムホールに揉み紙を貼って蓮の花を描く予定。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年12月3日土曜日

土佐の旅

1日目 2022年11月29日(火)

 広島駅新幹線口から高速バス「土佐エクスプレス」に乗って高知駅に向かう。高速バスの所要時間は約4時間余り。途中、八幡PAと豊浜SAで各15分の休憩がある。初日はあいにく小雨である。丸亀辺りで一瞬、日が射すがそれもつかの間。四国の山々を貫くトンネルを通り過ぎると雨の勢いが増してくる。高知駅バスターミナルには12時半に到着した。今回は運行するバス会社がホテルと往復バス代込みで発売した個人旅行である。この旅費は高知県と国の旅行支援をダブルで受けてとても安い。さらに3000円のクーポン券がつく。

 高知駅バスターミナルで下車後、雨の中、駅の反対側にある「こうち旅広場」の高知観光情報発信館「とさてらす」に向かう。ここで翌日に利用する牧野植物園や桂浜行の一日周遊の「MY遊バス」を購入。購入後、お昼の食事場所を探すと目の前の駅構内に居酒屋があった。今回は全ての食事がついていない。勇気を出してお店に入る。土佐といえばカツオのたたきが有名だ。是非とも本場のたたきを食べてみたいと思った。注文しようとするとお昼の定食をすすめられる。これには魚の煮付けなどあり感じがいいお店だった。
土佐エクスプレスの車窓から まるで墨絵の世界!?

こうち旅広場(左側) 高知駅(右側)
 こうち旅広場に立つ3体の像を見に行こうと足元を気にせずに歩いていたら靴が水たまりにハマった。背中のリュックも降り続く雨でびしょ濡れだ。それも仕方ない。傘が小さい折り畳みだ。駅前の「とさてらす」で高知駅から目指す龍馬の誕生地までは市内電車に乗るように教えてもらった。が、そこまで行くにははりまや橋で乗り換えねばならない。はりまや橋まで行く途中にこの日の宿がある。(宿を探しながらはりまや橋まで歩こう)と思って辺りをキョロキョロしながら歩く。途中、高知橋一帯に茂る蘇鉄などが南国土佐を思わせてくれる。高知橋を渡ると「槇村浩生誕の地」の標識がある。初めて知った人だが反革命詩人らしい。雨の中、写真を写すのも大変で片手に傘をさして右手で写す。
「龍馬伝」幕末志士社中 左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎
南国土佐の樹木が生い繁

 はりまや橋に着いた。はりまや橋が街の中心地なのか十字路になっていた。ここで電車に乗る。電車は広島では珍しくないがどこの電車もゆっくり走る。上本町1丁目で下車し龍馬の誕生地を目指す。電車を降りた場所に誕生地があるとは知らずに歩く。が、場所がわからず人に聞くとバス停前に石碑があるという。誕生地の石碑はまるでお墓のようだ。石碑の前に立つと、上、左右に見事な生花が活けてある。触ると飾り物ではなく本物の生花だ。だれが管理するのだろうか、よく行き届いている。

 バス停には数人がいる。「龍馬の生まれたまち記念館」を探しているようだ。その人たちの後をついて行く。が、どこにあるのか迷った様子だ。行きかう親子に聞くと目的地が同じでついて歩く。記念館に入ると入館料に各種割引がある。一覧表を見せられて、これまた安く切符を購入する。
龍馬の生まれたまち記念館

坂本龍馬誕生地の石碑

 もらったパンフによると記念館は高知市立となっており、この上町で生まれた龍馬がなぜここで育ち世に出たのかを展示や映像などで紹介している。館内の見学を終えると電車に乗ってはりまや橋に戻る。お天気が良ければすぐ近くにある高知城へも行きたかった。が、雨の中、リュックを背負って行くのは無理と思ってはりまや橋で降車し、高知大丸付近を歩くが繁華街なのに人の動きがない。ひろめ市場へ行こうかと思ったが雨に負けて宿に向かう。

 数分歩くと高知パレスホテルに着いた。チェックインをしようと中に入るがフロントらしきところへ行かれない。キーが必要とある。どうもホテルの入口が違うようだ。入ってきた人に聞くとそこは宿泊する禁煙館で本館は向かいの建物だった。受付けでチェックイン後、ドアボーイに近くにある食べ物屋を尋ねる。禁煙館の隣にコンビニがあり、その隣に居酒屋があると教えてくれた。部屋に入るまでにそのお店を物色するとすぐ近くにあった。

 部屋に入るとずぶ濡れになったリュックの中身を出して乾かす。靴もソックスも脱いだ。何もかも濡れている。雨に濡れてもこの日は幸い寒くなくてよかった。新たなソックスに履き替えて部屋のスリッパで過ごす。気持ちが落ち着くと夕飯を食べにお店に行く。和食のお店でカウンターに座る。(さて何を)、とメニューを見るがお腹は空いていない。握りずしと生ビール、そして鰹のたたきが入った中巻を注文。と、その時、フロントでもらったクーポン券を部屋に置いたままにしていると気づく。わけを話して部屋に取りに行く。何と落ち着きのないことか、と我ながらあきれる。なお中巻は朝食に。

 もらったクーポン券は超えたがここで使い果たした。今回の旅は食事がついていないので食べることが気になる。が、一人でお店に入るのも徐々に慣れてくる。部屋に戻ると湯沸かしやティーバッグはあるが珈琲がない。本館にあるレストランはパンフではイタリアンやフレンチレストランと書いてあったが実際はテイクアウトのみ。お湯を沸かして持参した珈琲スティックを飲む。どういっても安いパック料金。文句は言えない。この日は7847歩ほど歩いていた。 

2日目 2022年11月30日(水)

 前夜、急遽予定を変更してMY遊バスの時刻を1便早めて9時発に乗る。が、乗る場所を確認ずに高知駅バスターミナルに向かった。その場所に行くも標識にその行き先がない。案内所で確認するとこの反対側に乗る場所があるという。急いで引き返して人に聞こうとする。が、駅前なのに誰も歩いていない。(どうしよう?)と思ったら人が来た。聞くとその人もバス停を探しているという。ついて行くとバスが止まっていた。

 2日目は高知駅から約1時間乗車して桂浜で降りる。桂浜では龍馬像と龍馬記念館を1時間半見学。その後、11時半のMY遊バスに乗って牧野植物園と竹林寺を散策、を予定した。高知駅で道連れになった人は桂浜の龍馬記念館が目的らしい。バス車内で話をすると茨城県から飛行機で高知に来たという。それも高知割と国の全国支援とのダブル割を適用とか。同じやり方でどの人も高知の観光を楽しんでいると思った。見知らぬ者同士なのに静かな車内で話をする。後で知り合った若い2人連れと話すと「車内で話していた人?」と問われる。どうも話が車内に聞こえていたようだ。

 話題は一人旅。茨城の人はしきりに一人で1年間世界を回った話をする。最近はハノイに出かけたそうだ。人と話をして自分には到底できないことをする人の話を聞くのは楽しい。よほど興味を持って聞いていたのだろう。車内で一人旅のすすめと題した講演会の模様をYOU TUBEで見るようにと名刺をくれた。地元主催の2時間の講演会でまだ数分しか見ていない。それによると長年、国際交流をされてホームステイなどもされている。

 来年はまた世界一周の旅に1年間かけて出るそうだ。個人的に日本国内の一人旅は何とかできても海外はツアーでしか参加できない。ツアーならばかなり出かけたと話すと回数と出かけた国を聞かれ、それを話すと驚かれた。

 桂浜公園にバスが止まるとまずは龍馬像を探す。が、広くて何がどこにあるのかさっぱりわからない。係に尋ねてまずは龍馬に会いに行く。龍馬像は遥か太平洋のかなたを見つめて立っている。近づくととても大きな像だ。像の高さは5.3m、高さは13.5mもある。この像は昭和3年、地元の青年有志によって建立されていた。今から94、5年前になる。

 龍馬像を見学後、浜辺に沿って歩くとうつぎの小道と椿の小道に出る.この道を抜けた先に龍馬記念館がある。標識では380mと短いようだが山道の石段でそれも一段が高い。旅の全財産を背負って石段を上がるのはとても大変。それも話ながら歩くので、(このきつさは高山病?)と思えるほどだった。龍馬記念館に着くもこれほど歩くとはつゆ知らず、気が付けば見学時間が30分もない。ましてや館内が何ヵ所にも分かれて展示されており時間がなくて気持ちが焦る。2つ目の展示室を見学中、先の道連れに時間がない旨告げてここで別れる。そして残り時間を急いで見学する。もらったパンフによると「坂本龍馬は土佐に生まれ、新しい日本を作るために奔走した人物です。当館は坂本龍馬を紹介する施設として、1991年に開館しました。館内には龍馬の手紙や関連資料の展示のほか、体験型展示コーナーもあり、楽しみながら学ぶことができる空間となっています」とある。どこを見ても贅を尽くした展示となっており、龍馬ファンはたまらないに違いない。

桂浜にある坂本龍馬像

桂浜

桂浜のいたるところにつわぶきが咲いていた

坂本龍馬記念館までの道から海を見下ろす

桂浜バス停下車後、坂本龍馬記念館まで険しい石段を歩く
 今回の旅の計画は時間的に相当無理がある。(また土佐に来い!)と言われているような気持で竹林寺と牧野植物園行きのMY遊バス停に向かう。はっきりバス停を確認せずに降りたので不安が募る。前を見ると若い人がバス停付近にいる。声をかけるとバス停を確認しているという。2人で確認してバスを待つ。若い人は学生時代の友だちと土佐で再会するとか。牧野植物園で2人は合流していた。

 牧野植物園と竹林寺はバス停が異なる。ところが若い人たちは竹林寺で降車すると隣が牧野植物園入り口と教えてくれた。竹林寺に12時に下車後、14時までの2時間が竹林寺参拝と植物園散策の時間だ。(2時間ある)、と気を大きくしていたら時間が足りそうにない。お腹もすいてくる。若者たちは停留所前のお店で食事らしい。食事は竹林を参拝後にして境内を歩く。

 竹林寺は四国八十八カ所霊場第31番札所である。境内を歩いていると同行二人の杖を持った若い女性が一人お遍路なのか参拝していた。

竹林寺参道 この石段横に牧野植物園がある

竹林寺五重塔

きれいな紅葉

竹林寺智恵の文殊大菩薩

色づきがいい!

日吉神社

竹林寺山門(仁王門)

 竹林寺を参拝後、牧野植物園に入る。入り口に自販機がある。珈琲を買い、持ち歩いていた非常食のパンを食べる。この日、夜遅く広島駅に着く。そう思ってお昼は高知駅についてから食べようと決めた。ベンチで食べながら休憩していると隣のベンチに神戸から5日間かけて車で旅行中の夫婦が座った。話をすると感じがいい人たちだ。その時点ではベンチに座る前に入った暗い部屋が温室とは知らず、すぐに外に出た。園内を奥に進むと中央に葉牧野富太郎博士像がある。
 
 広い園内にいろんな道がある。そのそばにはこれまたいろんな花が咲いている。タイキンギクの前では座ってスケッチする人がいる、声をかけるとスケッチ途中の絵を見せてくれた。その人は花の絵は写真でなくスケッチして描くほうがいいという。それがわかっていてもつい写真に撮って後でそれをもとに絵に描くいている。

見事な紅葉だ

シコンノボタン(リトルエンジェル)
タイキンギク

サツマノギク

花の名は不明

牧野植物園園内を歩く
 どんどん進んでいくと足が疲れだす。辺りを見渡すと先方にきれいな建物が見えてくる。牧野富太郎記念館展示館だ。展示館の外で珈琲を一人飲む女性がいる。たまらなくいい香りが辺りに漂う。珈琲を注文したくなるが飲んでいるとバスに間に合わない。かなり逡巡した挙句、珈琲はあきらめて来た道を引き返す。春には秋とは違う花が咲き、さらにきれいかもしれない。(またいつか来ればいい)、と思いながらバス停に向かう。

 停留所で先の若い2人連れと出会う。「温室の建物はわかってもその入り口がわからなかった」、と話すと受付に交渉してくれて再入園した。「温室がこの植物園のメインですよ」と促されてバスが来るまで中に入る。5分くらい見てバス停に行くが時間が来てもバスが来ない。若い女性たちは飛行機で長崎と愛知に分かれて搭乗するらしい。飛行機が間に合わなくなると言って電話でバス会社に問い合わせるとバス会社から返事が来るまでに遅れてバスがやってきた。
 
 若い女性たちははりまや橋で下車。下車前、手を振ってくれた。こちらも手を振って別れる。その後、高知駅バスターミナルにバスは到着。広島行のバス停を確認後、遅いお昼を食べる。高知駅は新しいきれいな駅だが食事場所があまりない。前日、お昼を食べたお店を探すと夜まで休みだ。カフェを見ると広島のお店だ。ここには入らず、他のカフェに入りハンバーグ定食と珈琲を注文。やっと珈琲にありつけた。2日目は15669歩とよく歩く。

 広島駅に20時半ごろ到着。久しぶりに夜道を歩いて我が家に帰る。1泊2日の土佐の旅。時間がなくて忙しかった。次はもっとゆとりを持って旅をしよう。やっぱり旅はいい!楽しいし、元気が湧いてくる!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年12月2日金曜日

遊ぶ元気

 昨日から一気に気温が下がり、長い秋も終わるようだ。この時季、届く便りは訃報ばかり!?昨日も1枚届く。はがきの内容を見てしばし驚く。何と40年以上も前からの友だち本人の訃報だ。送り主は夫と娘になっている。なぜ?と聞こうにも聞くことができなくなった。その人の親と母が同じころ亡くなっている。そのこともあって親を失った悲しみを慰めあったりした。今から11,2年前のことだ。その頃、他の友だちと3人でランチをしたことが最後になった。知り合って長く年賀状だけは絶やさなかった。その最後が訃報の知らせとは人生があまりにも儚すぎる。これからは親世代から本人の訃報となっていく。

 気持ちを切り替えよう。今朝の地元紙に国東市観光キャンペーンの掲載がある。ここへはまだ出かけたことがなく行きたい場所だ。新聞広告のQRコードをダウンロードするとその詳細が出た。個人が宿に泊まると宿泊代金が安くなるという。国の制度もこれと並行して利用できるとか。宿は各自で決めて行かねばならない。来年2月末までの制度のようだが、寒い時季。出かけるとなると勇気がいる。一昨日までの陽気はどこへ行ったかのような寒さになった。が、今から寒いと言っていてはどこへも行かれない。

 松山の「坂の上の雲ミュージアム」。そして国東半島。いずれもフェリーの利用になる。普段JR利用が多いので今一歩フェリーに疎い。これではどこへも行かれない。3歳も若い友だちが亡くなった。生きていればこそ遊ぶこともできる。もっと元気でいるために元気を充電しなくてはいけない。それは遊ぶこと。それには旅がいちばんいい。とはいえ遊ぶにも元気がいる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年12月1日木曜日

「土佐エクスプレス」に乗って

 南国土佐までは広島からだと「土佐エクスプレス」を利用する。所要時間は4時間。途中、八幡PAと豊浜SAの2か所で15分ずつの休憩がある。実質3時間半の乗車は長い気がしてこれまで高知へは行きそびれていた。思い起こせば初めての高知は今からなんと半世紀近く前の社員旅行。その時出かけた場所は龍河洞と桂浜は覚えている。が、今回、桂浜に出かけて浜辺は覚えていてもその辺一帯の桂浜公園はほとんど記憶と違っていた。それもそのはず、坂本龍馬記念館は1991年に建設されている。

 高知へは母が88歳の3月に旅行を計画した。ところが出かける直前に母の骨折があり、急遽、旅行をキャンセル。そして今回の土佐行きである。今回は友だちに誘われての旅だった。ところが今回、旅行直前に友だちの体の調子がよくなくて一人旅となった。一人旅はこの頃出かけているので不安はない。というか、どこに出かけてもすぐに旅の道連れが現れる。今回もそうだ。これは我ながら不思議で仕方ない。

 バスがどこを通って高知まで行くのかさっぱりわからない。2か所の休憩場所は検索してわかったが四国に入ってからは今一歩わかっていない。ただ、四国の山を抜けるのかほぼトンネルばかりでそれを抜けると高知についた。

 南国高知は初日は小雨。翌日は好天に恵まれた。気温も高いのかどの日も歩けば汗が出るほどだ。小雨の初日は汗というよりも背負ったリュックや靴が雨でぬれた。雨の中、龍馬の誕生地と龍馬の生まれたまち記念館へ行く。ショルダーバッグにリュック、そしてカメラにスマホ、さらには傘をさしての観光は歩くだけでも大変。それでも行きたい気持ちが勝って観光すると通りを歩く人はいないのに観光場所は観光客が多くいる。龍馬人気はいつまでも色あせそうにない。といっても自分自身は司馬作品を読み始めてのことでまだ4年である。

 翌日は高知駅から牧野植物園や桂浜が一日中、周遊できる「MY遊きっぷ」を買ってバスに乗る。ところが高知駅の乗り場を確認せずにいたためバスターミナルで乗り場を探すが見当たらない。案内所で尋ねると駅の反対側からバスが出るという。急いで歩いて行くが場所がわからない。駅前なのに歩く人もいない。やっと見つけた人に聞くとその人も同じバスに乗るという。お陰でバスに間に合った。その人と話をすると茨木県から飛行機で来たという。その人も桂浜へ行くとのことで2時間半、道連れになった。

 バス車内で話していると世界中を一人で飛び回っているという。その様子をある場所で講演したそうだ。そのようすがYOU YUBEにアップされているとのことで名刺をもらった。海外をツアーでなく一人で、それも1年間かけて出かける人の話を聞くとかなり刺激される。司馬遼太郎の話をするといいことを話してくれた。それは松山に「坂の上の雲ミュージアム」があるという。昨夜、旅から帰って新聞を読むと偶然にも旅の広告にそのミュージアムのツアーが載っている。これまで聞いたこともないミュージアムだ。それが旅の案内にある。この偶然に驚く。

 読んで一瞬、このツアーに、と思ったら4,5人の旅。もちろん、今ツアーに参加する気はない。いつか松山のこのミュージアムに出かけよう。その人と桂浜で別れて牧野植物園に隣接する竹林寺まで先の周遊バスに乗る。ところが桂浜での周遊バス乗り場がはっきりしない。若い女性が場所を探している様子で声をかけると同じバスだ。2人でバス乗り場を確認して話をすると長崎から飛行機で来ているという。その人は学生時代の友が愛知から来て高知で再会するそうだ。周遊バスが竹林寺に停車するとその2人はここで合流。牧野植物園と竹林寺の距離が今一歩だった。が、この若者が教えてくれたとおり竹林寺で降りる。なんと竹林寺と牧野植物園は目の前に隣接していた。

 ここで若者たちと別れて竹林寺を観光後、牧野植物園を見て歩く。園内は広い。高知駅行きの周遊バスが来るまでの1時間あまり歩き回るが時間が足りない。だが、あとで地図を見るとくまなく歩いていた。しかし、温室に入っていない。バス停で先の若者たちに遭遇して温室がわからなかったというと、そこがメインの場所だ、と言って案内所にわけを説明してくれて連れて行ってくれた。そこは案内所の横にある暗い場所だ。初めに入った場所がまさか温室とは知らず、すぐに外に出て園内を散策した。

 若者たちは竜馬空港で長崎と愛知に分かれて飛行機に乗るとか。2人は私よりも先にはりまや橋で周遊バスを降りた。その時、親切にも振り向いて手を振ってくれた。旅で出会う人たちはどの人も親切だった。そういえば牧野植物園で休憩していたら神戸から車で5日間観光中の夫婦と話した。その人たちも親切だった。

 旅の道連れは好奇心。その思いが強いがどこへ出かけてもすぐに皆と旅の道連れになる。いい旅だった。この続きは後日、ブログにアップしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!