昨日でほとんどのところは仕事納めとか。昨夜、姉から電話がある。娘が今日からニュージランドへ出かけるとの電話だった。それを聞いて改めてカレンダーを見る。今年の年末年始の休みは9日ある。長い。これくらい休みがあるとかなり遠くまで出かけられそう。いつかオセアニアへも行こう!
話は変わって、昨年の今頃はお正月が来るのがいやだった。しかし、今年はその気持も薄らぐ。歳月がそうさせるのかいいことである。
昨日は、お昼も食べずプールに行く。今年最後の泳ぎ納め。泳ぎ始めると早く泳げて最高の出来?のように思えた。喜んで泳いでいると14往復した頃から、近くの高校のクラブの練習が始まる。
なんといっても元気盛りの高校生。プールの中は、まるで大海の荒海。背泳ぎで泳いでいると溺れそうになる。
水中歩行の人と眼が合うと、太平洋を泳いでいるみたいだという。まったくその通り。だが、太平洋で泳いだことはない。
一昨日、美術館でアフリカのモロッコ側からとヨーロッパ大陸のスペイン側からジブラルタル海峡を渡る映像を見る。険しい波にもまれて渡っていく。昨日のプールはまるでそんな感じ。
17往復したあたりで水中歩行に切り替える。昨日はかなり水を飲んだ!?
泳いで帰る頃から雨になる。傘も持っておらず、フードつきのコートを傘代わりにして家に到着。姉の電話だと家の方では雨でなく雪だという。
今朝も寒い!お正月はもうすぐやってくる。昨日はお正月用のお花を購入。花を飾ると部屋の中はチョッピリお正月モードになる。
取り立てて何がいい年だったとはいえない。それでもやっぱりほんとうに楽しい一年だった!
来年も平穏無事で過ごせますようにと願いながら新しい年を迎えよう!
新年になってさらうモーツアルトのピアノ協奏曲。ピアノ音をフルートに置き換えてさあ練習!
2013年12月28日土曜日
2013年12月27日金曜日
フランシス・アリス展を見に行く
今朝は雨も止んで日が照りはじめる。冬のご馳走は暖かい部屋と暖かい陽射しが一番。明日に予定していた泳ぎ収めを今日に代えよう。
昨日はシトシトと降り続く雨の中、友人と街中でイタリアンのランチ。行きつけのお店らしく、店長とも親しそう。中央通りに面した一等地のビル4階にある。ここはひとりでも気軽に入れそうなお店で、いつかまた出かけよう。
ランチの後、友人と歩いていると数年ぶりかで“広島太郎”を発見。元祖の太郎はなくなったはずだから、もしかして2代目。それとも太郎もどき?
いずれにしても、人の真似をするならばいいことをまねて欲しい!
友人によるとイギリス研究のある先生は一度、“太郎”を見たいと話されたとか。これもイギリス研究!?それとも比較文化研究!?
友人と別れた後、現代美術館ヘ向かう。市電で的場まで行き、比治山線に乗り換え、比治山下で下車。山に向かって歩くのだが、人は誰もいない。昼間の市内。しかし、ひとたび山(?)へ入ると誰とも出会わない。
もう10数年、いやそれ以上、ここへは来ていない。10分くらい歩いたところで美術館に到着。中に入ると、ひっそりしている。受付を済ませ、会場を見て歩く。展覧会のテーマは“フランシス・アリス展”。ベルギーの作家だが、30年くらい前からメキシコ在住。
1987年、メキシコは大震災に見舞われる。その大都市、メキシコを歩くことで、街に刻まれた歴史の層、異なる文化的背景にインスピレーションを受けて、次第に美術家として歩み始める。
この展覧会で始めて作者を知る。
作者はメキシコシティを舞台にして自らがさまざまなアクションを行い、ラテンアメリカの社会や歴史を浮かび上がらせる。数ある映像の中で気に入った作品がある。
「メキシコシティを歩く編」では「実践のパラドクス1」として“ときにはなにもおこらなこともする”がある。朝から晩まで9時間メキシコシティ街で大きな氷の塊が完全に溶けるまで押し続けて歩く。
これを映像にしている。
もうひとつ、気に入った作品がある。「ジブラルタル海峡を渡る編」で“川につく前に橋を渡るな”として、ジブラルタル海峡によって隔てられたヨーロッパとアフリカ。その2つの大陸を、海を渡る子供達の列によってつなぐアクションを行う映像である。
どの画像もアラビア語、日本語、スペイン語、英語の表示があり、それにも関心がわく。
これが現代美術のジャンル?と思いながら、メキシコへ行きたい気持ちが募る。
他にも別の「コドクノチカラ」展をみる。どこも観客はいない。ほぼ貸しきり状態の中を見て歩く。歩くたび、係りから丁重に挨拶される。それにしても、ここでの監視の仕事は楽そうでもそうではなさそう。一言も話さず、客も来ず、座っているか立ったままで客を監視する。どんな仕事も大変だ。
それにしても…。思ってしまう。これが民間の施設だったら完全に破産寸前。公の施設だから観客がいなくてもこれほどの人数を揃えて仕事をさせられると。
とはいっても、ミュージアムショップでもどこでも丁重な応対をされる。ちょっと高いけど気に入った丸いガラスコップを購入。ここでブランド名とも思える“MOCA”を尋ねるとミュージアムの略称だった。
如何にこの美術館のことを知らないかに気付く。見終わると、来た道とは違う大型スーパーに隣接する動く歩道を通って帰る。ところが、ここは町が再開発されてまったくどこにいるのかわからない。スーパーの前のバス停で待つこと30分。寒い!
やっとバスに乗ると数分で広島駅に到着。昨日はちょっとした旅行気分を味わう。
この美術館は春になると山も桜で覆われてきれいだろう。その時にまた出かけることにして、今日はこれから泳ぎに行こう!
昨日はシトシトと降り続く雨の中、友人と街中でイタリアンのランチ。行きつけのお店らしく、店長とも親しそう。中央通りに面した一等地のビル4階にある。ここはひとりでも気軽に入れそうなお店で、いつかまた出かけよう。
ランチの後、友人と歩いていると数年ぶりかで“広島太郎”を発見。元祖の太郎はなくなったはずだから、もしかして2代目。それとも太郎もどき?
いずれにしても、人の真似をするならばいいことをまねて欲しい!
友人によるとイギリス研究のある先生は一度、“太郎”を見たいと話されたとか。これもイギリス研究!?それとも比較文化研究!?
友人と別れた後、現代美術館ヘ向かう。市電で的場まで行き、比治山線に乗り換え、比治山下で下車。山に向かって歩くのだが、人は誰もいない。昼間の市内。しかし、ひとたび山(?)へ入ると誰とも出会わない。
もう10数年、いやそれ以上、ここへは来ていない。10分くらい歩いたところで美術館に到着。中に入ると、ひっそりしている。受付を済ませ、会場を見て歩く。展覧会のテーマは“フランシス・アリス展”。ベルギーの作家だが、30年くらい前からメキシコ在住。
1987年、メキシコは大震災に見舞われる。その大都市、メキシコを歩くことで、街に刻まれた歴史の層、異なる文化的背景にインスピレーションを受けて、次第に美術家として歩み始める。
この展覧会で始めて作者を知る。
作者はメキシコシティを舞台にして自らがさまざまなアクションを行い、ラテンアメリカの社会や歴史を浮かび上がらせる。数ある映像の中で気に入った作品がある。
「メキシコシティを歩く編」では「実践のパラドクス1」として“ときにはなにもおこらなこともする”がある。朝から晩まで9時間メキシコシティ街で大きな氷の塊が完全に溶けるまで押し続けて歩く。
これを映像にしている。
もうひとつ、気に入った作品がある。「ジブラルタル海峡を渡る編」で“川につく前に橋を渡るな”として、ジブラルタル海峡によって隔てられたヨーロッパとアフリカ。その2つの大陸を、海を渡る子供達の列によってつなぐアクションを行う映像である。
どの画像もアラビア語、日本語、スペイン語、英語の表示があり、それにも関心がわく。
これが現代美術のジャンル?と思いながら、メキシコへ行きたい気持ちが募る。
他にも別の「コドクノチカラ」展をみる。どこも観客はいない。ほぼ貸しきり状態の中を見て歩く。歩くたび、係りから丁重に挨拶される。それにしても、ここでの監視の仕事は楽そうでもそうではなさそう。一言も話さず、客も来ず、座っているか立ったままで客を監視する。どんな仕事も大変だ。
それにしても…。思ってしまう。これが民間の施設だったら完全に破産寸前。公の施設だから観客がいなくてもこれほどの人数を揃えて仕事をさせられると。
とはいっても、ミュージアムショップでもどこでも丁重な応対をされる。ちょっと高いけど気に入った丸いガラスコップを購入。ここでブランド名とも思える“MOCA”を尋ねるとミュージアムの略称だった。
如何にこの美術館のことを知らないかに気付く。見終わると、来た道とは違う大型スーパーに隣接する動く歩道を通って帰る。ところが、ここは町が再開発されてまったくどこにいるのかわからない。スーパーの前のバス停で待つこと30分。寒い!
やっとバスに乗ると数分で広島駅に到着。昨日はちょっとした旅行気分を味わう。
この美術館は春になると山も桜で覆われてきれいだろう。その時にまた出かけることにして、今日はこれから泳ぎに行こう!
2013年12月26日木曜日
地震発生
年に数えるほどしか、というかほとんど地震の起こらない地域で生活している。ところが、昨日は午後4時過ぎと午後7時ごろの2回、震度1の地震が発生。
隣の家と近くの小学校の工事で大型車両が狭い道を出入りする。昨日も交通誘導員も2名出て車両を誘導していた。まさにその頃、我が家がガタガタ音を立てる。車が家にぶつかったのかと思い、外に飛び出す。
ところがそうでもなさそう。タブレットで地震情報をチェックすると、素早い対応で検索できた。これには驚く。
夕飯を食べてごそごそしているとまたも家が揺れる。というか、食器棚のガラス戸の揺れる音がする。またもタブレットで検索すると震度1。
一日のうちに2度も地震発生とはびっくり。茨城辺りではしょっちゅう震度4の表示がある。震度1でも驚く。それなのに震度4が頻繁に起きるとは…。想像するだけでも怖い!
ともあれ、ひどいことにならなければいい。
今日はお昼を友人と食べて、その後、久しぶりに現代美術館へ行こう!今日も元気で!
隣の家と近くの小学校の工事で大型車両が狭い道を出入りする。昨日も交通誘導員も2名出て車両を誘導していた。まさにその頃、我が家がガタガタ音を立てる。車が家にぶつかったのかと思い、外に飛び出す。
ところがそうでもなさそう。タブレットで地震情報をチェックすると、素早い対応で検索できた。これには驚く。
夕飯を食べてごそごそしているとまたも家が揺れる。というか、食器棚のガラス戸の揺れる音がする。またもタブレットで検索すると震度1。
一日のうちに2度も地震発生とはびっくり。茨城辺りではしょっちゅう震度4の表示がある。震度1でも驚く。それなのに震度4が頻繁に起きるとは…。想像するだけでも怖い!
ともあれ、ひどいことにならなければいい。
今日はお昼を友人と食べて、その後、久しぶりに現代美術館へ行こう!今日も元気で!
2013年12月25日水曜日
「人の振り見て我が振りなおせ」
今日は最高気温が久々の二ケタ台で11度の予報。朝から温かな陽射しが窓から差し込む。
昨夜は友だちと夕飯を食べる。友だちとは同い年。昨夜、話をしていて同い年でもまるっきり正反対の生き方をしていると気付く。
いつまでも小学校や中学校時代のままであるはずはない。ところが、話せば話すほど友だちとの話に違和感がある。
短大を卒業してから母がなくなる後までの会わなかった期間は人の生き方も大きく変化している。
子育てと主婦業で過ごした人と、社会で働き続けたモノとでは当然、生き方も異なる。とはいっても、いろいろと習い事で出会う人たちはどの人ともそれほどの違和感はない。
この違いは何に起因する?
それにしても自分でやろうともせず、あるいは出来ない理由を人をけなして話すような人にはなりたくない。
外山滋比古の本に書いてあったことを思い出す。
人とのコミュニケーションでは決して話にケチをつけてはいけない!それは3条件の1つとしてある。
話にケチをつけるとか人を皮肉る人は自分自身の負け惜しみがそうさせるのだろう。
今年、知り合って楽しく話せる人たちは決してこういう人たちではない。どんな馬鹿なことを話しても笑ってもらえる人たちだ。
人を妬んだりケチをつけたりする前に自分自身で楽しみを見出せばそういう気持ちも起こらないはず。
母が亡くなった時、姪と話したことがある。あるときTV画面に釘付けになっていた姪に母は、「それほど気に入ったのならば自分でそれをするように!」と諭したらしい。姪はそれを聞いて“バア”を尊敬したという。
そういう母だったので、人を羨ましく思う前に自分自身でそのことを行うようにしている。
「人の振り見て我が振りなおせ」
気をつけよう。そして、友を選ぼう!?
昨夜は友だちと夕飯を食べる。友だちとは同い年。昨夜、話をしていて同い年でもまるっきり正反対の生き方をしていると気付く。
いつまでも小学校や中学校時代のままであるはずはない。ところが、話せば話すほど友だちとの話に違和感がある。
短大を卒業してから母がなくなる後までの会わなかった期間は人の生き方も大きく変化している。
子育てと主婦業で過ごした人と、社会で働き続けたモノとでは当然、生き方も異なる。とはいっても、いろいろと習い事で出会う人たちはどの人ともそれほどの違和感はない。
この違いは何に起因する?
それにしても自分でやろうともせず、あるいは出来ない理由を人をけなして話すような人にはなりたくない。
外山滋比古の本に書いてあったことを思い出す。
人とのコミュニケーションでは決して話にケチをつけてはいけない!それは3条件の1つとしてある。
話にケチをつけるとか人を皮肉る人は自分自身の負け惜しみがそうさせるのだろう。
今年、知り合って楽しく話せる人たちは決してこういう人たちではない。どんな馬鹿なことを話しても笑ってもらえる人たちだ。
人を妬んだりケチをつけたりする前に自分自身で楽しみを見出せばそういう気持ちも起こらないはず。
母が亡くなった時、姪と話したことがある。あるときTV画面に釘付けになっていた姪に母は、「それほど気に入ったのならば自分でそれをするように!」と諭したらしい。姪はそれを聞いて“バア”を尊敬したという。
そういう母だったので、人を羨ましく思う前に自分自身でそのことを行うようにしている。
「人の振り見て我が振りなおせ」
気をつけよう。そして、友を選ぼう!?
2013年12月24日火曜日
「夢中で過ごした一年」
今朝メールを見るとあやしいメールが届いている。日本最大手の銀行からのメールを騙る。すぐに、その銀行のHPで確認すると最初の画面に届いたメールと同じ画面が表示される。不審メールだった。
その銀行の通帳はあるものの20年以上も取引はない。初めて就職した会社がその系列で、信託銀行に通帳を作る。一時はそこで貯金もしていたけど今は、千円以下の残高。解約に行くのが面倒なのでそのままにしている。
どうしてメールアドレスがわかるのか不思議。しかし、自分自身知らないことでもネット上のほうが詳しいこともある時代。怖い!
ともあれ、すぐに不審メールを削除する。
話は変わって昨日も寒い中、プールへ行く。行く前は寒さもあってかなり勇気を振り絞る。しかし、泳いだ後の爽快感はこれまた格別。これがあるから寒くても泳ぎに行く気になる!?
昨日も先週のおっさんと出会う。まるでバタフライのような泳ぎ方でクロールを泳ぐ。そう話すと、足が大切らしく、ばたばたさせるという。そして、スタート地点に立って、リカバリーの練習もしている。
指導員に頭を抑えてもらってどれくらい水に浸けるのかが知りたいと話すと、あとで指導員に教えてもらおうという。ところが、その頃には1キロ泳ぎきったのでまたの機会に教えてもらおう。
他にも更衣室で知り合いに出会う。その人はプールの近くのマンションを購入し、週4回泳いでいるという。
どの人も頑張っている。わたしも今年は頑張って週1回1キロを目指して泳いだ。後、週末にもう一度泳いで今年の泳ぎ収めとしよう。
また話は変わって、一昨日の毎日新聞の記事。「新、心のサプリ」として海原純子が「早く感じられる一年」と題して書いている。その中にバッキー井上の「人生、行きがかりじょう」を引用しながら述べている。子供のころは誰も時の過ぎ行く早さを感じない。だが、大人になるとそれを感じる。
「年をとりたくないなあと思いはじめるころから、時の歩みは早くなるのかもしれない」という。12月になるたび、そう感じないようにするには「年をとるごとに今まで経験していない新しい分野のことをスタートし、自らを常にチャレンジャーの立場において過ごすことではないだろうか。新しいことをはじめるとうまくいかないことも多い。その中を進む精神が、年をとっても『夢中で過ごした一年』につながると思う。…」と。
今年はいろんなことにチャレンジした。今、思いつくままに述べると、2月には10余年ぶりにひとりでスリランカ旅行に参加。また、同じく2月に新たにスペイン語の教室に入る。5月は北欧に出掛ける。また合唱団にも入った。夏には研究会に参加して秋から美学を習う。また、秋には日本画に挑戦。他にも秋に新たな団体に入って台湾旅行。冬にはその団体に所属する。他にも冬には先日の人前でのフルートの演奏、と今年は「夢中で過ごした一年」となった。
すべては楽しい出来事だった。この勢いで来年も臨もう!これらのことはすべて人とのつながりがある。それを忘れてはいけない!あり難い!
その銀行の通帳はあるものの20年以上も取引はない。初めて就職した会社がその系列で、信託銀行に通帳を作る。一時はそこで貯金もしていたけど今は、千円以下の残高。解約に行くのが面倒なのでそのままにしている。
どうしてメールアドレスがわかるのか不思議。しかし、自分自身知らないことでもネット上のほうが詳しいこともある時代。怖い!
ともあれ、すぐに不審メールを削除する。
話は変わって昨日も寒い中、プールへ行く。行く前は寒さもあってかなり勇気を振り絞る。しかし、泳いだ後の爽快感はこれまた格別。これがあるから寒くても泳ぎに行く気になる!?
昨日も先週のおっさんと出会う。まるでバタフライのような泳ぎ方でクロールを泳ぐ。そう話すと、足が大切らしく、ばたばたさせるという。そして、スタート地点に立って、リカバリーの練習もしている。
指導員に頭を抑えてもらってどれくらい水に浸けるのかが知りたいと話すと、あとで指導員に教えてもらおうという。ところが、その頃には1キロ泳ぎきったのでまたの機会に教えてもらおう。
他にも更衣室で知り合いに出会う。その人はプールの近くのマンションを購入し、週4回泳いでいるという。
どの人も頑張っている。わたしも今年は頑張って週1回1キロを目指して泳いだ。後、週末にもう一度泳いで今年の泳ぎ収めとしよう。
また話は変わって、一昨日の毎日新聞の記事。「新、心のサプリ」として海原純子が「早く感じられる一年」と題して書いている。その中にバッキー井上の「人生、行きがかりじょう」を引用しながら述べている。子供のころは誰も時の過ぎ行く早さを感じない。だが、大人になるとそれを感じる。
「年をとりたくないなあと思いはじめるころから、時の歩みは早くなるのかもしれない」という。12月になるたび、そう感じないようにするには「年をとるごとに今まで経験していない新しい分野のことをスタートし、自らを常にチャレンジャーの立場において過ごすことではないだろうか。新しいことをはじめるとうまくいかないことも多い。その中を進む精神が、年をとっても『夢中で過ごした一年』につながると思う。…」と。
今年はいろんなことにチャレンジした。今、思いつくままに述べると、2月には10余年ぶりにひとりでスリランカ旅行に参加。また、同じく2月に新たにスペイン語の教室に入る。5月は北欧に出掛ける。また合唱団にも入った。夏には研究会に参加して秋から美学を習う。また、秋には日本画に挑戦。他にも秋に新たな団体に入って台湾旅行。冬にはその団体に所属する。他にも冬には先日の人前でのフルートの演奏、と今年は「夢中で過ごした一年」となった。
すべては楽しい出来事だった。この勢いで来年も臨もう!これらのことはすべて人とのつながりがある。それを忘れてはいけない!あり難い!
2013年12月23日月曜日
『安部公房とわたし』
夏に図書館に予約していた『安部公房とわたし』(山口果林 講談社、2013年)の順番がやっと廻ってきた。昨日、午後、図書館でそれを受取ると家に帰って一気に読む。自分自身のことをこれほどまでさらけ出すこともあるまい。読後感である。とはいっても毎日ブログに投稿している。これと同じといわれればそうかもしれない。しかし、その内容は異なる。著者とは同時代を生きている。そしてまるっきり違う人生を生きている。これも人生。そう思って読む。週刊誌を読む感覚でかなりミーハーになって読むのですぐに読める。
「女優の卵としては、事務能力があって重宝がられているのだと考えるようにしていたが、私に好意以上の感情を抱いてくれていることは感じていた」、「結婚まで考えた初めてのボーイフレンドに捨てられて、いろいろな男友達と踊りに行ったりと若いエネルギーを持て余していた日々。私は軌道を外れた衛星のような暴走状態にあったのだろうか」。24p山口は安部公房と知り合った頃のことをこう記している。
「密会」という部分では「未熟な私のどこに、安部公房は引きつけられたのだろう。初めての恋人との別れで、激しい恋愛感情の酔いは二,三年で冷めると同期の友人から教えられていたし、まだ燃え尽きていないとしても、いずれ安部公房の情熱も冷めるのだろうと、冷静に分析する自分もいた。それまで、安部公房から得られるものは、貪欲に吸収したい!自身のキャリアも高めたいというのが、当時の私の思いだった」。28p
捨てられた恋人もそうだけど、この本に登場する人々はすべて実名で書いてある。まだ健在の人もいるだろうに…。この本にはお金にまつわる話がよくでてくる。山口は姉達の結婚を機に自立した生活を始める。
「名実ともに自立を確立した。遅ればせながら国民年金も納めはじめる。当時はさかのぼっての支払いが、二年間しか許されなかった。…今、残念ながら満額の支給を受けられない」。60p
国民年金は満額支給でも年に80万くらい。それに介護保険は天引きのはず。有名人で華やかな生活と思える人たち。それが国民年金とは驚き。庶民でもこの金額では生活できない。細く長く地道な生活ならばやはり会社員は楽!?とはいっても才能がある人たちは何歳になっても働いて収入を得ることが可能。そのあたりは会社員とは比べられない。
安部公房の死も迫ってくる頃、山口は冷たい声を聞かされる。
「『いま、都合の悪いことが起こっているので、家に帰って待っていてほしい』こんなぶっきら棒な口調を聞いたことがなかったのでショックだった。私だって会える日を楽しみに、いろいろ無理しているのに、目の前で扉をぴしゃりと閉められた感じだった」。
「『付き合い始めたころ、死ぬときは一緒だよと言ってたじゃない』『個人年金を貰う六十歳までは、死にたくないって言った私に、君って冷たいなあって言ってたじゃない』家に帰ってやり場のない怒りを酒で紛らわせた」。201p
安部公房の死後、ひとりになった山口はフルートを習い始める。“フルート”は習っているので関心を持って記そう。
「五十歳になった私はフルートのレッスンにトライした。…仕事と無関係に、純粋に自分の老後の楽しみを増やしておきたいと思った」。230p
そして、山口はパソコンに挑戦する。この本もパソコンで書いたのだろうか。それにしても年金の話は可笑しい。酒井和歌子も徹子の部屋に出たとき、年金の話をしていた。有名無名にかかわらず、どの人も年金には叶わないということ?
安部公房の娘も安部公房の本を書いている。娘が書いた『安部公房伝』も読んで見たくなる。それには山口のことは一切書かれてないらしい。こういう本を読んでいつも思う。既婚者に愛情を抱いても、モノに例えるならばヒトのドロボーと同じだと…。いい結果に成るはずはない。
今日は遅くなったけどこれから泳ぎに行こう!
「女優の卵としては、事務能力があって重宝がられているのだと考えるようにしていたが、私に好意以上の感情を抱いてくれていることは感じていた」、「結婚まで考えた初めてのボーイフレンドに捨てられて、いろいろな男友達と踊りに行ったりと若いエネルギーを持て余していた日々。私は軌道を外れた衛星のような暴走状態にあったのだろうか」。24p山口は安部公房と知り合った頃のことをこう記している。
「密会」という部分では「未熟な私のどこに、安部公房は引きつけられたのだろう。初めての恋人との別れで、激しい恋愛感情の酔いは二,三年で冷めると同期の友人から教えられていたし、まだ燃え尽きていないとしても、いずれ安部公房の情熱も冷めるのだろうと、冷静に分析する自分もいた。それまで、安部公房から得られるものは、貪欲に吸収したい!自身のキャリアも高めたいというのが、当時の私の思いだった」。28p
捨てられた恋人もそうだけど、この本に登場する人々はすべて実名で書いてある。まだ健在の人もいるだろうに…。この本にはお金にまつわる話がよくでてくる。山口は姉達の結婚を機に自立した生活を始める。
「名実ともに自立を確立した。遅ればせながら国民年金も納めはじめる。当時はさかのぼっての支払いが、二年間しか許されなかった。…今、残念ながら満額の支給を受けられない」。60p
国民年金は満額支給でも年に80万くらい。それに介護保険は天引きのはず。有名人で華やかな生活と思える人たち。それが国民年金とは驚き。庶民でもこの金額では生活できない。細く長く地道な生活ならばやはり会社員は楽!?とはいっても才能がある人たちは何歳になっても働いて収入を得ることが可能。そのあたりは会社員とは比べられない。
安部公房の死も迫ってくる頃、山口は冷たい声を聞かされる。
「『いま、都合の悪いことが起こっているので、家に帰って待っていてほしい』こんなぶっきら棒な口調を聞いたことがなかったのでショックだった。私だって会える日を楽しみに、いろいろ無理しているのに、目の前で扉をぴしゃりと閉められた感じだった」。
「『付き合い始めたころ、死ぬときは一緒だよと言ってたじゃない』『個人年金を貰う六十歳までは、死にたくないって言った私に、君って冷たいなあって言ってたじゃない』家に帰ってやり場のない怒りを酒で紛らわせた」。201p
安部公房の死後、ひとりになった山口はフルートを習い始める。“フルート”は習っているので関心を持って記そう。
「五十歳になった私はフルートのレッスンにトライした。…仕事と無関係に、純粋に自分の老後の楽しみを増やしておきたいと思った」。230p
そして、山口はパソコンに挑戦する。この本もパソコンで書いたのだろうか。それにしても年金の話は可笑しい。酒井和歌子も徹子の部屋に出たとき、年金の話をしていた。有名無名にかかわらず、どの人も年金には叶わないということ?
安部公房の娘も安部公房の本を書いている。娘が書いた『安部公房伝』も読んで見たくなる。それには山口のことは一切書かれてないらしい。こういう本を読んでいつも思う。既婚者に愛情を抱いても、モノに例えるならばヒトのドロボーと同じだと…。いい結果に成るはずはない。
今日は遅くなったけどこれから泳ぎに行こう!
2013年12月22日日曜日
「こころが健康」
朝早くから姉夫妻は我が家にやてくる。今年最後の墓参りらしい。
毎日気ままに暮している。朝からの訪問客は慌しさを増す。いつもの如くお米や野菜を貰う。あり難い!
部屋の片づけの話をしていると2人からいいアイデアを貰う。そして、今すぐしてくれるという。やってもらうのは嬉しいが、今朝は本人のやる気がともなわない。
暖かくなってお願いすることにした。他にもGWに娘と出かけるフランス行きの話を聞く。これが最後の海外!?といいながらも娘と出かける旅行を楽しそうに話す。
自分に子供がいないからどれくらいの嬉しさかわからない。とはいっても、娘からの両親の古希の祝いとも思える旅行。それを誘われて嬉しくない方がおかしい。いずれにしても喜ばしい話である。
話は変わって、昨日のこと。午後から日本画を習いに行く。今年最後の教室とあって2人が欠席。昨日は前日近くのスーパーで見つけたちいさなクワイと先日友人のくれたたまねぎを持参。先生はモチーフのたまねぎ2ヶとクワイ5ヶをいい塩梅に配置してくださる。
このモチーフの置き方で絵の出来具合も影響がありそう。
画家である先生は置き方をかなり念入りに考えてくださる。
どうにかデッサンも終えて先生に見ていただく。少し手を加えると自分で描いた絵とは思えなくなる。ここでまた自己満足の世界に浸る。そして、色をつけていく。先生はブルーと緑を混ぜてクワイの色を出すようにと話される。いわれた通り、色を手直しするといいクワイになっていく。これは面白い!
次回の日本画は新春になる。先生は次回からケント紙に36色の色鉛筆を使って薔薇1輪を描くようにいわれる。色鉛筆の絵画も展覧会に出せるらしい。
これを聞いてますます嬉しくなる。初めて先生について日本画を習う。「始めのころと比べて上手くなったね」と先生。「豚もおだてりゃ木に上ります!」と返答して皆の笑いものになる。
気をよくしてスペイン語の忘年会に移動する。ところが開始時間を覚えておらず、友人とともに行動する。1時間早く着きすぎた。仕方なく、近くでティータイム。
皆が揃ったところでペルー料理のお店に行く。お店は我が家に近い。
参加人員はスペイン語を習っている人が7名、先生の知り合いのペルー人親子とペルーからの留学生、そして留学生の大学の友だちのスロベニアの女性。ほかにもどういう関係の人か聞いていないけど2,3名がいた。
スペイン語を習っている人の中に、コロンビア滞在歴20年がおられた。その人は最近、ミャンマーにも行かれている。宴も終わりに近づく頃、その人は袋から宝石を出して4ヶづつ皆に下さる。ミャンマーのお土産だろう。それにしても人から宝石をいただくのは初めて。わいわい言いながら皆、受取った。あり難い!
スロベニア、ペルー、ミャンマー、日本といろんな人たちで平常、聞かれない話が飛び交う。
スロベニアはこの夏、クロアチアとともに行く予定にしたこともあった。そのためか余計、興味がわく。
ところが、スペイン語が思うように話せない。
友人は大学で英文を学び、また、スペイン語も話せるので両方の言語で楽しそうに会話する。
話をしたい気持ちは募っても、外国語といえば中国語が先に頭を掠める。もっとスペイン語を勉強しようと昨日は思った。
そう告げると、ミャンマーに出かける人から「こころが健康!」と言われる。それを聞いていたペルー人の先生も自分自身もそうだと娘から言われると嬉しそうに話される。それにしても「こころが健康」の表現は初めてだ。
さらに泳ぐ話をすると先生も週5日はジムに通い、2日はダンスに興じるという。
友人はそれを聞いてダンスに行こうと言う。ダンスはまったくダメ。他に習い事をするならばダンス。ところがこれがまた問題。いつの日か、もしかしてついにダンスに挑戦!?そういう日が来るだろうか、どうだろう?
以前、先生はルーマニアの人と知り合いだった。その人もスペイン語が話せた。昨夜のスロベニアの人もスペイン語が話せる。何故、西欧人がスペイン語を…と思った。スペイン語は元々は俗ラテン語。それがロマンス諸語になり、フランス語やルーマニア語などに拡がっていく。
東洋の漢字文化圏の国々で漢字が使われたと同じく、ラテン系の原語が広まってスペイン語も話されるのだろう。
日常から離れて異文化の人とともに話しながら食事をするのは楽しい。これもスペイン語を習う楽しみだろう。それにしてももっと「こころが健康」になるよう、スペイン語を勉強しよう!そして、からだの健康は明日のプールで!
毎日気ままに暮している。朝からの訪問客は慌しさを増す。いつもの如くお米や野菜を貰う。あり難い!
部屋の片づけの話をしていると2人からいいアイデアを貰う。そして、今すぐしてくれるという。やってもらうのは嬉しいが、今朝は本人のやる気がともなわない。
暖かくなってお願いすることにした。他にもGWに娘と出かけるフランス行きの話を聞く。これが最後の海外!?といいながらも娘と出かける旅行を楽しそうに話す。
自分に子供がいないからどれくらいの嬉しさかわからない。とはいっても、娘からの両親の古希の祝いとも思える旅行。それを誘われて嬉しくない方がおかしい。いずれにしても喜ばしい話である。
話は変わって、昨日のこと。午後から日本画を習いに行く。今年最後の教室とあって2人が欠席。昨日は前日近くのスーパーで見つけたちいさなクワイと先日友人のくれたたまねぎを持参。先生はモチーフのたまねぎ2ヶとクワイ5ヶをいい塩梅に配置してくださる。
このモチーフの置き方で絵の出来具合も影響がありそう。
画家である先生は置き方をかなり念入りに考えてくださる。
どうにかデッサンも終えて先生に見ていただく。少し手を加えると自分で描いた絵とは思えなくなる。ここでまた自己満足の世界に浸る。そして、色をつけていく。先生はブルーと緑を混ぜてクワイの色を出すようにと話される。いわれた通り、色を手直しするといいクワイになっていく。これは面白い!
次回の日本画は新春になる。先生は次回からケント紙に36色の色鉛筆を使って薔薇1輪を描くようにいわれる。色鉛筆の絵画も展覧会に出せるらしい。
これを聞いてますます嬉しくなる。初めて先生について日本画を習う。「始めのころと比べて上手くなったね」と先生。「豚もおだてりゃ木に上ります!」と返答して皆の笑いものになる。
気をよくしてスペイン語の忘年会に移動する。ところが開始時間を覚えておらず、友人とともに行動する。1時間早く着きすぎた。仕方なく、近くでティータイム。
皆が揃ったところでペルー料理のお店に行く。お店は我が家に近い。
参加人員はスペイン語を習っている人が7名、先生の知り合いのペルー人親子とペルーからの留学生、そして留学生の大学の友だちのスロベニアの女性。ほかにもどういう関係の人か聞いていないけど2,3名がいた。
スペイン語を習っている人の中に、コロンビア滞在歴20年がおられた。その人は最近、ミャンマーにも行かれている。宴も終わりに近づく頃、その人は袋から宝石を出して4ヶづつ皆に下さる。ミャンマーのお土産だろう。それにしても人から宝石をいただくのは初めて。わいわい言いながら皆、受取った。あり難い!
スロベニア、ペルー、ミャンマー、日本といろんな人たちで平常、聞かれない話が飛び交う。
スロベニアはこの夏、クロアチアとともに行く予定にしたこともあった。そのためか余計、興味がわく。
ところが、スペイン語が思うように話せない。
友人は大学で英文を学び、また、スペイン語も話せるので両方の言語で楽しそうに会話する。
話をしたい気持ちは募っても、外国語といえば中国語が先に頭を掠める。もっとスペイン語を勉強しようと昨日は思った。
そう告げると、ミャンマーに出かける人から「こころが健康!」と言われる。それを聞いていたペルー人の先生も自分自身もそうだと娘から言われると嬉しそうに話される。それにしても「こころが健康」の表現は初めてだ。
さらに泳ぐ話をすると先生も週5日はジムに通い、2日はダンスに興じるという。
友人はそれを聞いてダンスに行こうと言う。ダンスはまったくダメ。他に習い事をするならばダンス。ところがこれがまた問題。いつの日か、もしかしてついにダンスに挑戦!?そういう日が来るだろうか、どうだろう?
以前、先生はルーマニアの人と知り合いだった。その人もスペイン語が話せた。昨夜のスロベニアの人もスペイン語が話せる。何故、西欧人がスペイン語を…と思った。スペイン語は元々は俗ラテン語。それがロマンス諸語になり、フランス語やルーマニア語などに拡がっていく。
東洋の漢字文化圏の国々で漢字が使われたと同じく、ラテン系の原語が広まってスペイン語も話されるのだろう。
日常から離れて異文化の人とともに話しながら食事をするのは楽しい。これもスペイン語を習う楽しみだろう。それにしてももっと「こころが健康」になるよう、スペイン語を勉強しよう!そして、からだの健康は明日のプールで!
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