2011年2月28日月曜日

稽古事

図書館を利用するものにとって月曜日は面白くない。休館日だからである。

それに加えて今朝は雨模様。愛車の自転車にも乗れず家でじっと我慢の子だ。それでも昼頃から小雨となり、自転車での外出もOK。早速アサちゃんの企業年金脱退手続きをするために、銀行、区役所などへいって書類を取り寄せた。

区役所へはアサちゃん亡き後、土日を除く毎日のように出かけては提出する先々の戸籍関係の書類を取り寄せている。係りのヒトとも顔なじみになっているはずなのにとるたびに教えてもらわないと入手も困難を極める。後どのくらいでかければ、すべての役所関係の届出が終わるのだろうか。

そんな合間にも4月から本格的に行動を開始すべく習い事のネットでの偵察に入った。

当然フルートは再開するのだが、それだけでは何か物足りない。一番今求められているのは体を動かすこと。以前やっていた水泳が体にいいと思うのだが、まだその気にならない。やはりアサちゃんを失った疲れが残っているのだろう。

それでも一ついいアイデアが浮かんだ。「歌え、語れ、シャンソンは面白い」という講座である。

アサちゃんを介護しているとき、頭をよぎったことがあった。それが「シャンソン」である。

ネットでの予約受付は不可能とのこと、近日中にその会場の受付まで出向いて申し込みをしよう!
アサちゃんの最期を目の当たりにして、ヒトの「口」の大事さを知った。

口は声を出すところであり、食事を飲み込むところでもある。

とりあえず今の状況はそのことを心配することはない。ところがアサちゃんはその二つのことで最後まで苦しんだ。それを思うと「声を出す」目的として歌うことは心身ともによいことだ。

中でもシャンソンは哀愁が漂う。その意味からいっても今の心境にぴったり当てはまる。

さあ動き出そう!稽古事に!

2011年2月27日日曜日

「々」について

ブログのタイトルを「敏々日記」とした。ところが「々」の読み方が今一歩わからない。最初の投稿のときは「おなじ」と打ち込み変換すると「々」になった。これでよしとすればよいのになぜかこだわりが捨てきれない。

Googleで検索すると同じような疑問を持ったヒトがいた。その回答には「どう」、「おなじ」で変換すると「々」になるという。携帯電話では「ノマ」でも変換できた。だが、PCは変換不能だった。

「々」の読みは漢和辞典でも掲載がなく、読みとしては「踊り字」に含まれるとか。

平常、「佐々木」とかで使用している「々」の文字の読みさえも知らないとは日本人としてほんとうに情けない。

「アサちゃん」亡き後、生活リズムは180度の変化をとげた。すべての時間は我が一人の時間となった。「敏々日記」と名称を変え、「アサちゃん」云々は書かないようにしようと思っていた。それなのにどうしても「アサちゃん」という言葉が出てしまう。

それほど我が人生において「アサちゃん」はかけがえのないヒトであった。

徐々にそれも切り替え、「敏々日記」としてふさわしいブログを書きたい!

生活のリズムが落ち着かない間はものごとが中途半端になりそうだ。それも仕方がない。7年間もアサちゃんを中心とした生活だったのだから。

まだまだ残務整理で忙しい日々が続きそうだ。その合間には図書館に出かけて本を読み、徐々に遠出の機会を増やして4月頃からは本格的な生活リズムを確立したい、と思っている。

2011年2月26日土曜日

『梅棹忠夫 語る』

 語り手 梅棹忠夫、聞き手 小山修三の二人によるトークをまとめたものが『梅棹忠夫 語る』(日本経済新聞社、2010年)である。

 本の裏表紙には「他人のまねをして何がおもしろい?・・・未知なるものにあこがれ、自分の足で歩いて確かめ、自分の目で見て観察し、自分の頭で考える。オリジナリティを大事にして、堂々と生きようやないか!閉塞感・不安感に満ちた現代日本人に向け、『知の巨人』が最後に語った熱きメッセージ」とある。

 この文は母亡き後の沈んだ気持ちを奮い立たせ、勇気を与えてくれる言葉だ。

 行く手に有り余るほどの時間があるかどうかは定かでない。それでも7年間、学業と母の介護であわただしい日々を過ごしたことは間違いない。その期間我が辞書に「遊び」という言葉はないと思った。ところがこの本によるとそうではない。梅棹は「学問は最高の道楽である」といい切っている。(109P)この言葉は社会人大学生として6年間を過ごした大学のポリシーである「学問とは最高の遊びである」に通じる。ということは我が辞書に「遊び」がなかったのではなく、6年間最高の「遊び」をしていたことになる。

 母亡き後、「遊ぼう!」と心に決めていた。しかしそう思わなくても十分今まで遊んでいたとは・・・。

 梅棹は世界各国を「わたしは全部自分の足で歩いている」(31P)という。中国について「日本とはぜんぜんちがう。『なんというウソの社会だ』ということや。いまでもその考えは変わらない。最近の経済事情でもそうでしょう。食品も見事にウソ。ウソというと聞こえが悪いけれど、要するに『表面の繕い』です。まことしやかに話をこしらえるけれども、それは本当ではない」(31P)とうまく表現している。この「表面の繕い」は最近の尖閣諸島の問題についても全く妙をえている。

 中国のコテコテ文化に対し「ヒンドゥーはむき出し、人間性の一番嫌なところ、恐ろしいところが目の前にある」(32P)という。さらにイタリアについては「ウソが多い国やけど、おもしろい国やな」と述べたうえで「『見せかけの文化』やな」という。デザインを例にとって、非常によく「見かけがよければモノもいいという思考がある」と語っている。(33P)中国、ヒンドゥとイタリアを語った後、「『文明の生態史観』は、少なくともアジアとヨーロッパの両方が見えていて、ちゃんとわかっていないと理解できない」という。(34P)

 これまでアジアはもちろんヨーロッパも観光旅行という手段で見てきた。それくらいでは梅棹のいうように「わかっていない」ことになる。梅棹は「一番、あぶないなと思うのは、みなさん歴史を知らん。東洋史を知らん。東洋史の中心地は中国の歴史だということは、みなさん、もうひとつよくわかっていない。東洋学というのは、大きな学問の流れなんです」と話す。(37P)その意味では院生時代東洋史を専攻したことはよかったのかも知れない。昨日も『史学研究』がおくられてきた。しっかり読んで内容を把握しなければ・・・。

 梅棹は文章を書くうえで「一番いかんのは、美的にかざることやな。それで、何かいいものができたみたいに思う。・・・とにかく文章で一番大事なことは、わかるということ。自分もわからないくせに、そのわからない言葉を使う。それはかざってるからや」と注意を促す。(44-45P)長く「民博」の館長として職についていた梅棹は「国立大学教授で学位がないなんて、何たることや」と釘を刺す。ところが「学位を持っていなくても、実力はあるから審査ができるわけです。ところが持っていない人ほど厳しいんです」ともいう。民博教授は66%が学位をもっているとか。(142-143P)

 本の終わりに「わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、デジデリアム・インコグニチ、未知なるものへのあこがれだけやった」と述べている。到底自分の生き方は梅棹氏の足元にも及ばない。だが、この本を読んでさらに東洋史に目をむけたいと思った。母亡き後、すこしずつ落ち着きを取り戻したならば再度未知なる世界にはばたきたい!そしてブログを通してヒトにわかる文章を書こう!

2011年2月25日金曜日

相続登記

アサちゃん亡き後、一番てこずっていることは相続登記だ。アサちゃんは21年前に夫亡き後、わずらわしいそれらの手続きを一人でしたのだろうか。今となってはそれさえ聞くのも難しい!それと同時によくもわずらわしい手続きを一人でしたものだと感心する。

その当時のことはいくら思い出しても思い出せない。

今はいろいろな役所関係の手続きは自転車に乗って行っている。ところが21年前のアサちゃんは我が今の年齢よりもはるかに多く、ましてや自転車でなく徒歩で行っていたはずだ。そのことを思うと若さに任せてなにも家のことを手伝わなかった我がことが悔やまれる。

主亡き後すべてのことが落ち着くまでは我が生活リズムも落ち着かない。

俗にヒトの死後49日間は死者の魂は迷っているとされる。それは死者のみならず残された者も同じだ。

それまではアサちゃんが無事に次の生にうまれかわれるよう我が気持ちを引き締めて毎日を過ごしたい!

2011年2月24日木曜日

新生活スタート

アサちゃん亡き後、いろいろな残務整理で忙しい!何も急いでする必要はないのかもしれない。それなのに遺族年金、健康保険、固定資産税、相続登記関係等の手続きで役所に出かけている。それ以外にも墓碑銘、戒名の記入等もあり、まだまだ仕事は続きそうだ。

アサちゃんの介護で1日の大半を過ごしていたことを思うと、今はどんなに忙しくしようと思ってもそれに勝ることはない。

じっとしておれない性格ゆえ、有余る時間を有効活用しようと思うのか動き回っている。

アサちゃんの介護は来月になると丸7年になるはずであった。それほどの長期にわたる介護から一挙に解放され、生活のリズムは完全に狂ってしまった。以前のリズムを取り戻すにはそれなりの時間を要する。それまでは落ち着いた生活はできないかもしれない。

幸いなことにもうそこまで春がやってきている。すべてのものごとは4月から新たなスタートをはじめる。

新生活も世間にならって4月からスタートしよう!それまでは執行猶予期間だ。

アサちゃんを介護していた時、時間の足りなさを嘆いていた。もはやその必要もなくなった今、やりたいことをどんどん開始しよう!

アサちゃんも何でも楽しそうにする姿を見てきっと喜んでくれると思う。20年前から実行しているスローガンを思い出して。さあ!行動開始!

「人に元気を与えるポイント」(舛井一仁)

1 声を大きく、よく話をする

2 健康である

3 手紙でもファックスでも、思い立ったらすぐに出す

4 悩んでいる人に気をつかわせないようにする

5 人脈を豊富にし、質を高く保つ

6 不条理を感じるものがあれば常に怒りを忘れない

7 自分なりの、ネットワークルートを頭の中で完成しておく

8 金銭的に少し余裕をもっておく

9 機会があれば旅のかおりを届けられるようにしておく

10 自分の目標をもって突き進む

2011年2月23日水曜日

「敏々日記」ブログ開設

におい桜の香る朝、ブログ「敏々日記」を開設した。昨日までの悲しみを忘れ、新たな気持ちでブログに投稿しよう!