2011年2月26日土曜日

『梅棹忠夫 語る』

 語り手 梅棹忠夫、聞き手 小山修三の二人によるトークをまとめたものが『梅棹忠夫 語る』(日本経済新聞社、2010年)である。

 本の裏表紙には「他人のまねをして何がおもしろい?・・・未知なるものにあこがれ、自分の足で歩いて確かめ、自分の目で見て観察し、自分の頭で考える。オリジナリティを大事にして、堂々と生きようやないか!閉塞感・不安感に満ちた現代日本人に向け、『知の巨人』が最後に語った熱きメッセージ」とある。

 この文は母亡き後の沈んだ気持ちを奮い立たせ、勇気を与えてくれる言葉だ。

 行く手に有り余るほどの時間があるかどうかは定かでない。それでも7年間、学業と母の介護であわただしい日々を過ごしたことは間違いない。その期間我が辞書に「遊び」という言葉はないと思った。ところがこの本によるとそうではない。梅棹は「学問は最高の道楽である」といい切っている。(109P)この言葉は社会人大学生として6年間を過ごした大学のポリシーである「学問とは最高の遊びである」に通じる。ということは我が辞書に「遊び」がなかったのではなく、6年間最高の「遊び」をしていたことになる。

 母亡き後、「遊ぼう!」と心に決めていた。しかしそう思わなくても十分今まで遊んでいたとは・・・。

 梅棹は世界各国を「わたしは全部自分の足で歩いている」(31P)という。中国について「日本とはぜんぜんちがう。『なんというウソの社会だ』ということや。いまでもその考えは変わらない。最近の経済事情でもそうでしょう。食品も見事にウソ。ウソというと聞こえが悪いけれど、要するに『表面の繕い』です。まことしやかに話をこしらえるけれども、それは本当ではない」(31P)とうまく表現している。この「表面の繕い」は最近の尖閣諸島の問題についても全く妙をえている。

 中国のコテコテ文化に対し「ヒンドゥーはむき出し、人間性の一番嫌なところ、恐ろしいところが目の前にある」(32P)という。さらにイタリアについては「ウソが多い国やけど、おもしろい国やな」と述べたうえで「『見せかけの文化』やな」という。デザインを例にとって、非常によく「見かけがよければモノもいいという思考がある」と語っている。(33P)中国、ヒンドゥとイタリアを語った後、「『文明の生態史観』は、少なくともアジアとヨーロッパの両方が見えていて、ちゃんとわかっていないと理解できない」という。(34P)

 これまでアジアはもちろんヨーロッパも観光旅行という手段で見てきた。それくらいでは梅棹のいうように「わかっていない」ことになる。梅棹は「一番、あぶないなと思うのは、みなさん歴史を知らん。東洋史を知らん。東洋史の中心地は中国の歴史だということは、みなさん、もうひとつよくわかっていない。東洋学というのは、大きな学問の流れなんです」と話す。(37P)その意味では院生時代東洋史を専攻したことはよかったのかも知れない。昨日も『史学研究』がおくられてきた。しっかり読んで内容を把握しなければ・・・。

 梅棹は文章を書くうえで「一番いかんのは、美的にかざることやな。それで、何かいいものができたみたいに思う。・・・とにかく文章で一番大事なことは、わかるということ。自分もわからないくせに、そのわからない言葉を使う。それはかざってるからや」と注意を促す。(44-45P)長く「民博」の館長として職についていた梅棹は「国立大学教授で学位がないなんて、何たることや」と釘を刺す。ところが「学位を持っていなくても、実力はあるから審査ができるわけです。ところが持っていない人ほど厳しいんです」ともいう。民博教授は66%が学位をもっているとか。(142-143P)

 本の終わりに「わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、デジデリアム・インコグニチ、未知なるものへのあこがれだけやった」と述べている。到底自分の生き方は梅棹氏の足元にも及ばない。だが、この本を読んでさらに東洋史に目をむけたいと思った。母亡き後、すこしずつ落ち着きを取り戻したならば再度未知なる世界にはばたきたい!そしてブログを通してヒトにわかる文章を書こう!

0 件のコメント:

コメントを投稿