2026年4月30日木曜日

「帰らぬ季節はもう 忘れてしまえばいい…」

 1か月弱の長期休暇中(?)に読んだのは夏目漱石の本である。なぜ夏目漱石かといえば青空文庫で一番よく読まれている作家だとか。読んだ本は『こころ』『満韓ところどころ』『正岡子規』『三四郎』で、『それから』は途中まで読んだ。限られた生活の中でスマホのおかげでたくさんの本が瞬時に読める。これはとてもありがたいことだ。活字に飢えそうになると青空文庫を読んだ。ウイキペディアで調べると青空文庫の蔵書作品は2026年2月22日現在で17、791作品だそうだ。

 今朝の地元紙に南こうせつのコンサートの模様が記事にある。今年になって何が何でもこうせつのコンサートを、と思ってネットでチケットを購入した。昨日のコンサートに行こうと思えば行かれた。が、無理することもないと思って早々とチケットを人にあげた。

 チケット以外にも1,2月に予定していた6月までの一人旅のホテルや新幹線もすべてキャンセル。ツアーの参加も2件予定していたがこれもキャンセル。新幹線のチケットは姉の孫息子がみどりの窓口でキャンセルの延長の押印を済ませてくれた。これは今回初めて知ったことだが、押印後1年間にキャンセルを申し出れば全額返却されるという。まだ手続きはしていないが姉の孫息子にお礼として先に全額、渡した。

 1か月の長期休暇(?)については毎日の記録をスマホのカレンダーに記した。これを文章にしてブログにアップを、と思った。が「夜明けのメロディー」にあるように「帰らぬ季節はもう 忘れてしまえばいい  素敵な思い出だけ 大事にしましょう」のとおり、ふりかえるのはやめた。それよりも前を向いて地道に歩を進めよう。

 今日は雨の一日となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年4月29日水曜日

人生最後に残る趣味は?

 毎朝仏壇にお水を供える。今朝は供えながら不覚にも、一気に涙があふれる。どこかで我慢をしていたのだろう。涙はアクシデントの際でも流れなかった。それが仏さんの前に座るとまるで懺悔のような涙となった。

 毎日は仏壇に、毎月はお墓参りに参っている。が、山道にあるお墓へはしばらく参られそうにない。しばらく、といえば旅も当分お預けだ。

 家を留守にしていたこの1か月弱に体のメンテナンスを受けた。30年間、歯科、眼科以外のクリニックへは行っていない。それくらい元気だった。血液検査の結果はどこも異常はなかったようだ。これも40年の水泳のおかげかもしれない。このたびのアクシデントで人生初のことばかりでお薬手帳も作る。自転車は法律の改正で面倒なことだらけで乗るのはあきらめた。しかし水泳は大丈夫そうなので許可が下り次第、これからも続けよう。

 人生最後に残る趣味は??と林望氏は書いている。今回の人生初の長期休暇で読書が残りそうだ。とはいってもこれからまだまだ何が起こるかわからない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年4月28日火曜日

花麒麟

葉っぱを付けた花麒麟

 長く水もやらずにいた花麒麟ははっぱを付けて生き生きとしている。この花は背が高くなるらしくこれからが楽しみだ。

 姉夫婦と会う機会が増えたこのひと月。義兄は突然、慰問先で歌っている動画を見せてくれる。義兄が歌を人前で歌うとは知らずにいた。続けて姉の動画も見せてくれる。姉は突然、指名されて舞台で歌ったそうだが、上がらずに歌えたという。夫婦そろって歌を歌うのが好きなようだ。姉曰く、義兄はちょっとしたその辺のスター(?)だとか。何であれ、楽しみがあるというのは幸せなことだ。

 何もせずただ日々が過ぎるのを待つだけの生活から一転して元の生活に戻った。自分で自分のことができるのはうれしいこと。ましてやこれに楽しみが加われば何も他は望まない。この気持ちを忘れずにゆっくりながらも楽しい日々を過ごそう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年4月27日月曜日

ブログ再開に向けて


 人生という長い旅路の中継地で、アクシデントに見舞われました。一度立ち止まり自分自身を見つめなおす貴重な機会となりました。と、同時に生き急いでいたかも、と思っています。これからは今日一日を大切に過ごそう、とブログ再開に向けての決意です。

 「アサちゃん日記」(大半は非公開)から「敏々日記」にタイトルを改めて、早くも16年目に入りました。この間、旅に出かけた日を除いてほぼ毎日ブログをアップしています。これからも元気である限りブログを更新するつもりでいます。気を引き締めて!そしてショパンの「ノクターン」遺作21番はやっぱりいい曲!アップしよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年3月30日月曜日

旧千葉家住宅の桜を見に行く

 先日、日帰りバスツアーで浜出へ行った。お昼にいただいたのどぐろはその時、初めていただく。そのことを日本画教室で話すとスーパーの魚売り場で売っているとのこと。一昨日、スーパーへ行き、パッケージに入った魚をみると「赤むつ/のどぐろ」と表示がある。翌日も売っていた。1匹880円。ほかのスーパーに行くとのどぐろではなく、クジラの刺身を売っていた。子供のころは毎日のように食べていたクジラだが刺身で食べたかどうかは覚えていない。

 昨日は、地元紙に掲載の桜を見に行く。場所は隣町にある旧千葉家住宅。行き帰りの万歩計を見ると3000歩も歩いていない。以前にも出かけているが徐々に整備されている。桜の木は1本だが古木のようだ。受付でパンフと綿の種をいただく。入場料は無料だが開放日が決められている。隣には織田幹雄の記念を兼ねたスクエアになっており、いろんな催しやホールがある。ここで何か習い事を、と思ったりするが思うものがない。

旧千葉家住宅
 綿の種を植えて、と思ったが面倒だ。誰かにあげよう。出かける際、近所の2人と会う。それぞれのところで立ち話をしているとあっという間に時間が過ぎる。久しぶりに会うと相手が年老いているのにびっくりする。その相手もこちらを見て年老いた、と驚くに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年3月29日日曜日

「一人でいるほうが気楽だ」

 「江南タイムズ」のネット記事を読んだ。それには「精神科医によると、年齢を重ねるにつれて『一人でいるほうが気楽だ』と感じるようになるのは、性格が変わったからでも人が嫌いになったからでもなく、ごく自然な心理的変化だという。中年以降になると脳や感情の働き方が徐々に変化し、人と関わる時間よりも静かなひとりの時間に安心感や満足感を覚えやすくなる傾向が強まる」そうだ。

 これを読んで妙に納得する。年老いてから一人旅を楽しむようになったことがこれを物語る。

 続いて「その大きな理由の一つが感情エネルギーの減少だ。精神科の分野では、50代から60代以降になると感情を調整するために使えるエネルギーの総量が少しずつ減っていくと説明される。若い頃には問題にならなかった会話や対立も、年齢を重ねると強い疲労感につながりやすくなり、自然と人付き合いよりも心を消耗しない時間を選ぶようになる」そうだ。

 さらに「また、中年以降は他人からの評価よりも『自分自身の基準』を重視する時期に入るとされる。若い頃は人間関係や社会的なつながりが自己肯定感の中心だったが、年齢とともに価値の軸は自分自身へと移っていく。精神科医はこの変化をアイデンティティの再構築と呼び、人間関係も量より質を重視するようになると説明する」とある。

 さらにまた「脳の働き方の変化も無視できない。中年以降の脳は、複雑な人間関係や微妙な社会的サインを処理するために、より多くのエネルギーを必要とするようになる。そのため、常に気を使わなければならない関係や対立を含む付き合いは、脳にとって大きな負担となる。一人で過ごす時間は、そうした脳を休ませる最も効率的な方法といえる」とある。

 そして「精神科医はこの心理的変化を、人生の優先順位が明確になっていく過程だと表現する。これまで惰性で参加していた集まりや、無理をして維持してきた関係に執着しなくなり、自分にとって意味のある人や活動に意識が向くようになる。健康や趣味、静かな時間そのものが、人生の質を高める重要な要素として位置づけられていく」とする。

 以上のことから「このように、年齢とともに一人でいることが心地よくなるのは孤立や後退ではなく成熟のあらわれだ。感情エネルギーの変化、脳の特性の変化、価値観の再構築が重なった結果として、心が自然に選び取った生き方といえる。『一人でいるほうがいい』という感覚は問題ではなく、成長の過程で生まれる健全な心理状態なのだ」と。

 先日のニュースで関東あたりのお花見は「ソロお花見」が多いそうだ。なんでも「ソロ」をつければいいのか「ソロ温泉」「ソロ旅」とまるではやりコトバのようだ。これも時代の現れ?

 近いうち宮島へソロお花見に行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年3月28日土曜日

「健康でいた方が身軽でいられる」

 図書館で「婦人公論」を読むと91歳で一人暮らしの阿刀田高のインタビューがある。そのなかに「健康でいた方が身軽でいられる」とある。健康でなければ何をするにも人の手を煩わせる。しかし元気であれば自分の思うままに身軽に行動できる。この言葉、本を読んで思わずメモした。ほかにも今年94歳の五木寛之とタブレット純の対談がある。タブレット純はクミコのブログによく出てくる人だ。94歳の会話は何を話しても迫力がある。そして77歳で亡くなった内館牧子の友人の吉永みち子のインタビューもある。

 内館牧子の本はほぼ読んでいない。しかし社会人大学院生として同じ時期に学んでいる。彼女が発した「養老院より大学院へ」の言葉には共感した。これはその当時の「婦人公論」に掲載された気がする。

 今朝の地元紙によると岡山大学は来年度から授業料を値上げするとか。特に外国からの留学生の授業料は2.5倍になり、日本人は1.2倍になるという。現在の授業料は535,800円。これは17年前に修了した大学も同じ額だった。それにしても留学生の授業料値上げはあまりにも高すぎる。大学は1年間だけでなく4年間ある。ましてや大学院を含めると6年間だ。それに初年度は入学金もいる。大学院へ行けばさらに必要だ。

 いま思うに、多額の金銭を払っても社会人になってから大学・大学院で学ばせてもらったことは本当にありがたく、また良かったとしか言いようがない。それまでは何事にも自信がなかった。それが6年間、学んだことで自信となった。これはなにものにも代えがたい大きな財産である。親を介護しながらの通学は大変だったが学ばせてくれた親には感謝しかない。

 内館牧子の話を吉永ミチ子から知って当時の自分自身を顧みる。それにしても77歳で亡くなるとは……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!